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よみがえれシーボルトの日本博物館

 シーボルトより133年前に来たケンペルは日本へ向けて1683年に出発し1690年に着いている。最初から日本という訳でない。医師であり博物学者である所はシーボルトと同じで彼は「日本誌」を著している。その当時の日本は鎖国していたが此の鎖国という言葉はケンペルの論文のなかの言葉でそれを通訳の志筑忠雄が鎖国と訳した事に始まる。私は此の志筑忠雄の訳はすばらしいと思う。ピースボートの船がカンヌかイタリアのチッタヴェキアに入った時波止場の入り口に鎖があり、それを下ろしているときは船が自由に出入り出来るが、鎖をあげると船の航行は出来なくなる。戦争が起こった時に外国から攻められないようにしたという。水先案内人から聞いた話だ。しかし志筑忠雄は海外に出て鎖も見ていないにも関わらず、鎖国としている点ですごい。
 シーボルト20歳の頃
川原慶賀に欠かせた江戸品川宿の光景 遊女が3人いる
鳴滝塾 シーボルトが此処で蘭語や医学を教えた。 色々な資料を集める資金は此処から得た
アムステルダムの日本博物館の展示 「日本の宗教」と言う題が付けられている。阿弥陀如来・観音菩薩・勢至菩薩・僧の座像があり、シーボルトの理解が感じられる。

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