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信楽へ2

どうも悪い記憶で申し訳ないが私はあの信楽高原鉄道事故を思いだしてしまうのである。1991年5月14日信楽が世界へ向けて発信した世界陶芸祭の場で起こってしまった事故だ。京都発の3両編成の特別列車には600人もの乗客が乗っており、ほぼ満員だった。それが信楽発の4両の普通列車と正面衝突してしまうのである。41名の死者と400名の犠牲者が出た事故だ。この後JRは各地で乗り入れを解消している。今は一両のみで列車の対抗は無い。だからほぼ1時間に1本の割で運行されている。私は14、7km車窓から晩秋の景色をたのしんだ。信楽の焼きものは陶器の歴史としては古い物ではない。古いと言えば日本列島には土器や埴輪須恵器等があげられる。しかし産地として成り立つ信楽焼は常滑の影響を受けて鎌倉中期頃から始まったと言える。日本六古窯では一番後になる。信楽の古窯跡は信楽高原鉄道の沿線にあり、五位の木や南松尾には10数基以上集まっていたとされる。優れた陶土は焼成によって得られる暖かみのある緋色自然釉によるビロード釉と焦げの景色の融合は「さび・わび」の世界に通じる物として古くから親しまれた。
画像信楽高原鉄道 晩秋の渓谷を走る
画像信楽高原鉄道 晩秋の渓谷を走る
画像各駅に狸の置物が出迎え
画像各駅に狸の置物が出迎え
画像信楽焼は大型の仏像や観音様等得意とした

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