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木曽福島界隈と御嶽山登山3

くるまやで腹ごしらえが済むと大手橋から山村代官屋敷へ向かった。山村氏は木曽の代官と関守を兼ねていた。建物は享保8年(1723年)に建造された。庭は築山池泉式庭園で木曽駒ヶ岳を借景としている。展示品の中で面白いものは貝合わせと植物標本だった。貝合わせはトランプの神経衰弱のようなものでハマグリの貝殻の中に花の絵や錦絵が描かれてあり、貝は伏せておかれ同じ絵を引き当てる遊びだ。植物標本はおそらく薬用に使われたものだと思う。天保15年のもので全て漢字で書かれていて読めなかった。又この山村家の当主達は文学的な才能も併せ持ち、10代の良喬(たかてる)公は俳諧をよくしたそうである。木曽文学発祥の地とも言われている。ここを出て、崖家造りを見る。これは広い道を作ることを優先し、川沿いの土地の有効活用のため、3階、4階建てと川に迫り出したように建てられているのが珍しい。また中山道の街道の上には狭い敷地ゆえの小路が発達し、馬宿小路・寺門前小路などの名前が残っている。この小路の突き当たりに高札場と祭り会館があったので祭り会館に寄ってみた。ここには木曽福島を代表する祭りである水無神社の神輿のレプリカが置かれている。又木曽踊りの大提灯が展示されている。『みこしまくり」の由来は木曽から飛騨に杣、匠の仕事に出ていた惣助と幸助という兄弟がいました。飛騨で戦乱に巻き込まれ、一宮の神様を守ろうと、御神体を神輿に載せて木曽に逃げてきたそうです。しかし、長峰峠で追っ手に追いつかれ、攻防するうちに神輿が地面に落ちてしまいました。ちょうど木曽側の下り斜面だったため、そのまま神輿を転がして追ってから逃れたそうです。この言い伝えの話の「惣助と幸助」の労苦と偉業をしのび、故事に倣って神輿をまくる(転がす)のが「みこしまくり」です。惣助・幸助と声を掛け合いながら神輿を「横まくり」横に転がす、「縦まくり」縦に転がす、そして最後には壊してしまうという荒っぽいお祭りです。
IMG_9540崖家造り
IMG_9543山村代官屋敷
IMG_9548貝合わせ
IMG_9550築山池泉式庭園
IMG_9553小路
IMG_9558水無神社の神輿
IMG_9559木曽踊りの大提灯
IMG_9561高札場と高札の数々

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