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駒ヶ岳の前に中岳というのがあり、2925mだ。駒ヶ岳山頂には5時30分に着いた。セーターの上にレインコートを着ているが寒い。気温は8度 頂上横の駒ヶ岳神社に100円の賽銭で登山の無事を祈る。頂上からすぐに宝剣山荘にひき返し、朝食を食べる。モバイルバッテリーに繋いだ携帯電話は100%充電できていた。7時35分縦走路に踏み出した。9時「天候は我に味方せず」の碑を見る。駒ヶ岳は悲しい記録がある。1913年8月26日に長野県中箕輪高等小学校の生徒25名が遭難し、赤羽校長以下11名の命が奪われた痛ましい山岳遭難事故があった。新田次郎の「聖職者の碑」で読まれた方も多いのではないだろうか。10時7分小休止登山者2名に出会う。極楽平を通過、休憩のたびに眠ってしまいたい誘惑に駆られる。「高山病か」10時45分大休止熱くなってきたのでセーターを脱ぐ。12時30分昼食、宝剣山荘で作ってもらった弁当だ。おにぎり2個と唐揚げ3個だ。食欲がない。13時35分きりが濃くなる。14時25分檜尾岳通過、15時小休止、霧が濃い。熊沢岳はまだ見えない。木曽殿山荘に電話、本日の宿泊をお願いする。山小屋の主人が出て、木曽殿山荘まで2時間30分かかるという。台風も来ているので引き返して檜尾岳避難小屋に宿泊するのが安全だという。電話を切ってから2分ほど考えた。せっかくここまで来ていてもったいないのだ。私が10歳若ければ木曽殿山荘まで行ったろう。でも山の天気は急変することもあるし、残念だけど言う通りにした。檜尾岳避難小屋は檜尾岳から500mの距離にあった。16時15分檜尾岳避難小屋に到着、この避難小屋は12畳ほどの広さでマットや寝袋まで置いてある。トイレは別棟になっている。駒ヶ根市が設置し、無料だが協力金1000円となっていたので協力金の箱に1000円札を入れた。夕食は卵がゆ(温めなくても食べられる)とコンビーフにした。水筒がほぼ空の状態だ。食欲はあまりない。シュラフを敷き、足下用のカイロと普通のカイロそしてウィスキーをちょっと飲んで寝た。夜中トイレに立ったがめちゃくちゃ寒い。そこで空のペットボトルを尿瓶がわりに使った。思いの外よく寝れたが、喉の渇きは苦しかった。
P9230531 木曽駒ヶ岳山頂
画像駒ヶ岳神社
P9230537宝剣岳
P9230542天は我に味方せずの碑
P9230543極楽平
P9230549
P9230570鳥?
P9230576檜尾岳頂上

駒ヶ岳ロープウェイ千畳敷駅(標高2612m)を15時10分に降りて宝剣山荘に向かったのは私一人だった。私が泊まりたかったホテル千畳敷は終点の千畳敷駅と直結していた。山ガールや山姥(山おばさん)も六人ぐらいいたが、途中遊歩道と駒ヶ岳に行く分岐点で遊歩道を降って行った。駒ヶ岳から降りてくる登山客は多く、二十人ぐらい会っただろうか、ロープウェイが17時終了なので急いでいる。霧が濃い。16時30分宝剣山荘に到着。一泊2食9500円とお弁当1000円を払って、10号室(シオガマ)に案内された。17時夕食18時に再び10号室へ東京から来た先客が一人、ちょっと喋って、再びテレビを見る21時までテレビを見ていた。宝剣山荘では賄いは女性3人と山小屋の主人の4人で四十人近い登山客の世話をしていた。21時を少し回って消灯された。それから10号室の三人のおしゃべりが始まった。東京から来た63歳の方は毎月山に登っているという。近い将来ボルネオのコナキタバルに登りたいと、もう一人は九州出身で九州には2000m以上の山がないことが残念だと、それでこちら本州の3000m級の山に登りたかったと、また日本海側から太平洋側まで山々を通りながら達成したいと、言う。今回の山行も上高地から国庫まで来たと言っていた。21時40分部屋の戸がどんどん叩かれて、山小屋の従業員から「静かに寝てください」とお叱りを受けてしまった。
室内は15度で暖かい。羽毛布団で寒くなかった。23日朝は4時20分に目が覚めた。東京から来た人はすでに起きて携帯を見ている。曇りだとつぶやいた。私はガバッと跳ね起きて、すぐに駒ヶ岳へ行く用意をした。4時45分に小屋を出発。まだ真っ暗だ。すでに数組が出発していた。

P9220520宝剣山荘
P9220521飲料水 400円 カップヌードル500円
P9220522夕食 ご飯はおかわりできる
P9230525中岳2925m
P9230527うっすら夜が開ける
P9230529かなり開けてきた

9月22日(火)から24日(木)にかけて縦走を計画した。この計画は去年実施する予定だったが、鼠径ヘルニアで断念。それで今回実施することにした。当初はホテル千畳敷に泊ることを計画していたが、二ヶ月以上前からこの日本一高い場所にあるホテルは満室だった。部屋は16室と特別室2室(バス・トイレ付き)で収容人数は72名だ。それでロープウェイ千畳敷駅から一番近い宝剣山荘に泊まることにした。近くにある天狗山荘や頂上山荘はコロナのせいで営業はしていない。また阪急高速バスは6月はアルペン号が運行していなかった。7月になって運行を開始したが、阪急三番街8時30分の一便だけとなり、伊那からの帰りの便は運行をしていなかった。だから帰りはJRを使わねばならない。JRは高い上に時間がバスよりも1時間遅い。乗り換えが4回あり、待ち時間もかなりある。山から降りて一日駒ヶ根市で遊ぶという手もある。とりあえず2泊3日の山行計画を立てた。今回の装備でリュックはミレーのシャモニー40Lにした。もう22年ぐらい前に買ったリュックだ。2年ほど使った後娘にやるといっていたのだが、取りに来ないので自分で使うことにした。使うにあたって防水剤をたっぷりかけた。それと携帯電話は常備するのが今では常識だが、これに携帯バッテリーを持参し、3日間ぐらいは十分通信でき、山の天気を1時間ごとに聴けるのが良い。以前は携帯のラジオを持って行ったが、今は必要ない。それと携帯コンロを持参しないで、味の素のたまご粥、白粥、サタケのマジックライス エビピラフを用意
した。カメラはいつも2台持って行ってるが、今回はオリンパスのタフ4だけにした。食糧だけで2kg全体で11kgだった。
P9220499阪急高速バス アルペン号
P9220501SAで2回休憩
P9220503駒ヶ根はリンゴの産地だ。
P9220505ロープウェイ 時速20キロで千畳敷駅へ 約7分
P9220507千畳敷カール 氷河時代の無残り お椀状の地形
P9220511宝剣山荘へ
P9220515高山植物

博物館網走監獄

2020年09月17日
網走監獄の鎖塚の紹介の後は囚人たちの1日の生活が展示されていた。これは現在のものであるが、6時40分起床、7時5分朝食、7時40分作業開始、11時40分昼食、12時20分作業開始、16時20分作業終了、17時夕食、18時余暇時間 21時就寝作業には農作業、木工作業、金属加工作業、樹木の伐採や、部外講師による靴やカバンなどの縫製もあった。監獄は扇の形に配列された獄舎から成り立っている。海外でもこれに似た極者がある。展示の中に珍しい入浴風景があった。阿部譲治の「塀の中の懲りない面々」という小説そして映画があったのをご存知の方も多いと思うが、入浴は脱衣から入浴着衣まで15分でしなければならなかった。だから流れ作業のような形で掛かり湯、体を洗う、頭を洗う、浴槽で体を温める、脱衣所で素早く着衣、まさに烏の行水であった。網走監獄の特徴として五翼放射状案ごくがる。これはベルギーのルーヴァン監獄をモデルに明治45年から昭和59年まで使われていたもので
木造舎房としては世界最古の建造物である。この舎房の斜めのブラインドは廊下から各牢が見えるが、牢からは廊下の一部が見えるだけで向かいの牢は見えない構造になっている。また五よくになっているので中央に監視所を設ければ一か所の監視所で全てを見渡せたと同時に警備人員が少人数で足りるという優れた面も持っていた。
P8210479 扉と鉄格子この鉄格子を数年かけて錆びさせ、脱走した囚人もいる
P8210483 五翼
P8210480 廊下と舎房
P8210482 扉とのぞき穴 中からは操作できない
P8210485 入浴風景
P8210489 懲罰房の鉄格子鉄講師のしtsも煉瓦やコンクリートで固められている
P8210493 教誨堂 教誨師が来て説教などする。時には歌手などの慰問もあった。

曜日朝顔は8月、9月初旬までぐったりして一日5〜6輪しか花を咲かせなかったけれど12日から毎日15輪も花を咲かせている。うどん粉病は相変わらず葉を枯らしているが、そんなことにめげず、朝になると15輪が花を咲かし、あまり気温が上がらない日は昼までしっかりと咲いていてくれる。花から元気をもらっている。
DSCN9364

網走〜女満別空港

2020年09月15日
ホテルサンアバシリ の部屋で不思議に思ったのが、扇風機が置いてあることだった。斜里岳から降りてきたので体に幾分熱が溜まっている。クーラーをかけようと思った時に気付いたのだが、クーラーがなくて扇風機なのだ。テレビの天気予報によると明日は最高気温が26度最低が21度となっていた。クーラーが要らないのもわかる。翌21日バスで博物館網走監獄へ行った。天都山のバス停から歩いて10分の所にある。昭和57年から順次施設の更新が行われることになり、施設の保存を望む声が起こる。昭和58年天都山に移築が始まる。昭和58年7月(1993)に開館した。網走刑務所の表門は網走市有形文化財の第1号に指定されている。明治23年ロシアの脅威、北海道東部開拓の拠点として網走が選ばれ、その新拠点中央道路開拓の起点となった。網走の元の姿は小さな漁村であった。中央道路開拓のため、重罪人が日本各地から集められ、鎖に繋がれ道路開削工事に従事した。この労働は過酷を極めた工事の途中に死んだものはそのまま道の傍に埋められた。これを鎖塚という。また今の国道39号線は明治期には囚人道路とも呼ばれていた。この工事期間に網走分監の1115名の出役囚のうち212名が死亡した。  
P8210463網走監獄旧表門
画像大井上 輝前釧路集治監典獄
画像五右衛門風呂 昭和40年代までありました。私の家も五右衛門風呂でした
P8210467昔の井戸私の家にも昭和30年まであった。
P8210470農園で使われた農機具
P8210471味噌や醤油も作られていた。 自給自足
画像網走番外地シリーズのポスター 主演高倉健
P8210474農作業風景 馬が活用された

清岳荘から網走へ

2020年09月13日
本日はオリックスレンタカーに車を返す日になっている。19時までに清里から女満別まで帰れるかどうか心配だった。女満別店に電話すると約1時間半で帰れるだろうと言う。17時10分に清岳荘を出発した。特に足に疲労が来ていないのとアクセルだけで車を走らせることができるので楽だ。途中眠気覚しと気分転換にコーヒーとコーラを買った。ナビで車を走らせる。途中いろいろな街を通り過ぎるが渋滞はない。18時を過ぎた時に女満別の標識が現れた。あと約25kmだ。女満別店のそばのガソリンスタンドで満タンにして返す。260km走った。ガソリンは14Lで1876円リッター当たり約19km走ったことになる。山道・地道を走ってこの燃費はお得だった。女満別空港まで送ってもらったが網走行きのバスは出たところだった。19時50分発のバスに乗り網走に着き、すぐにホテルサンアバシリに荷物を下ろす。夕食に冷たいそうめんか、ひたしうどん、冷やし中華が欲しいところだった。しかし網走の駅前付近にはパスタの店しかない。仕方なくコンビニの冷やしうどんにした。網走の駅にピョンチャンオリンピックで活躍した選手五人の看板があった。人気者になっている。

P8200455ダケカンバの林 麓付近
P8200452ミヤママタタビ
P8210458ホテルサンアバシリ
P8200457北見のカーリングチーム

斜里岳頂上に着く少し前の風景を紹介すると馬の背からすぐに胸突八丁にかかる。両側はハイマツ帯だ。ガスの中に斜里神社が現れ程なくして頂上なのだ。ガスがかかって視界は3mから5mだ。ただ道ははっきりしているし、標識も注意していれば必ずある。上二股で下山どうに新道を通ることを勧めているガイドブックもあるが、この濃い霧の中知らない道は通れない。万丈の滝まで降りたときやっと余裕が出てきた。ここまで3回転んだ。雨で水嵩が増し、一回はまともに水の中に膝まで浸かってしまった。行きに渡れた所の石が水没して水の中の石が浮き石なのだ。それと15時なのに霧で暗い。谷筋だからしかたないけれど。15時45分清岳荘跡に到着。ここまでくればもう登山口は近くだ。植物の写真を撮っていなかったので、取り始める。16時53分清岳荘到着ご苦労様でした。
P8200434胸突八丁
P8200435馬の背
P8200436ハイマツ帯
画像斜里神社
P8200441斜里岳頂上に着く
P8200442ガスだ。視界が効かない
P8200449ダイツリオウギ?
P8200450オオバタケシマラン?

斜里岳登山

2020年09月10日
朝5時起床昨日の羅臼岳登山の後始末をして5時56分出発だったが、なんと清岳荘(せいがくそう)が車のGPSに出てこないのだ。ホテルのフロントで「きよたけそう」を聞くと読み方が違う。「せいがくそう」というのだと言われ、なるほど出てこないわけがわかった。フロントで地図を書いてもらい、「せいがくそう」に向かう。6時40分到着。ここで朝食をとり、7時10分出発、7時30分斜里岳登山口、頂上まで3,6kmの看板、渡渉2回7時50分小休止、水量も豊富だ8時40分までに渡渉13回する。小休止後、かなりきつい登り、9時40分万丈の滝、雨がキツくなってきたので雨具を着る。10時30分沢の水を補給、上二股11時通過、実は上二股まで来れれば十分と思っていた。地図を出してみるとここから1時間ばかりで頂上に行けるらしい。かなりの濃霧の中、上二股で北東方向に曲がり、尚も緑の低木の中を行く。頂上はこの方向で間違ってはいないが、登山者が全くいない。11時40分馬の背なのだが、視界が全くないので危険なところを歩いている気がしない。12時15分斜里岳神社これも濃い霧の中にボート現れた。12時30分斜里岳山頂に立つ。風と霧で少し肌寒い。何回か自動シャッターにして写真を撮った。12時40分山頂発 47分にきた道に降りてないことを気づく、三井コースと言って尾根道だ。引き返すと頂上直下で左に折れる道があった。そこを下ると見覚えがある沢だった。一人だけ登山者が登ってくる。頂上からの下山で迷わないようにと伝言、13時昼食を食べる。この日はカメラをオリンパスのタフ4に変えていた。
P8200400緑清荘の部屋 広くて気持ちいい
P8200401駐車料金の看板 キャンピングカーで来る人も多いのか
P8200406斜里岳登山口
P8200422万丈の滝
P8200427見晴らしの滝
P8200429龍神の滝
P8200431霊華の滝
P8200432上二股 頂上と振動の分岐

羅臼岳頂上に12時22分に着いた。1661mである。岩がボコボコしていて休憩をとるような場所はない。6人ぐらいしか入れない狭い山頂だ。私はここで水をもらって安心した。羅臼平に出たところで昼食を取る。ももの外側に疲労がきた。足があまり上がらない。ロキソニンを貼る。大沢の出口で14時10分。ここから40分歩いて5分の休憩で2セット15時45分にあと1kmとなる。もう1時間歩いたら着くだろうと思っていたが、脚の疲労が速度を遅くした。木下小屋到着は17時25分だった。丸12時間かけての登山だ。木下小屋に到着すると主人が「ゆっくりだったね」と言われた。自分はゆっくりではなかったっけれど。かなり残念だ。やはり歳と共に足の衰えも着実に来ている。すぐに荷物を整理して17時45分に木下小屋を出発した。もっと早ければホテル「地の涯」で30分でも温泉に疲れたのに残念だ。それよりこれから明日の斜里岳登山のため清里にあるホテル緑清荘まで急がねばならない。約66km1時間半ぐらいか、事前にホテルに電話して遅くなってもご飯は用意しておいてくれと頼んだ。道は信号も少なくスムーズに走ることができ19時10分に緑清荘に着いた。夕食は結構美味しかった。肉も刺身もデザートも出た。夕食の後風呂で時間をかけ丹念に足を揉んだ。明日の斜里岳はいけるところまで行こう。無理することはない。風呂を上がって部屋でビールを飲むとすぐに酔いが回った。

DSCN9323羅臼岳
DSCN9324知床半島・国後島を望む
DSCN9328 ニホンアカガエル?
DSCN9326エンレイソウ
DSCN9329木下小屋
DSCN9330キタキツネ
DSCN9331夕食
DSCN9332十勝の牛肉

大沢から頂上まで

2020年09月03日
大沢に入るとここは7月頃まで雪渓があるので空気ががらっと変わって涼しい。デコボコした岩が続く、途中ロープがかけられているところが3箇所あった。この冷涼な気候に適した高山植物が多く、先にも紹介したフデリンドウが多く咲いている。コケモモ。チングルマが可愛らしい。大沢も出口付近になると風が出てきて体感温度が低く感じられる。11度だ。抜け切って少し行くと木下弥三吉のレリーフだ。ここのテント場で10張張れる。羅臼平(1340m)は台地状なので霧が出たら迷いやすかも。ここから植物はハイマツが優先していた。ハイマツの中にヒメヤシャブシ?が混じっている。そして道は南西方向に曲がりハイマツの中をいく。途中おばちゃんの四人グループに追い越された。岩清水(1440m)の標識から少し上はハイマツ帯が途切れて大きな岩が累々として続く。ほぼ9合目であろうか。汗が出てきた。太陽が照りつけて、岩を握ると暑い。気温23度だ。700cc入れてきた水筒はほとんど空だ。ここからは岩の間をすりぬけるようにしてやく30分頂上についた。頂上は広くない。大きな岩の重なり合った頂点だ。すこし降りたところの岩清水で水が汲めるか聞くと、難しい顔をして山頂にいた一同はさらに難しい顔になった。そのうち一人の男性が私少し水が余りそうですからと言って300ccのチューブに入った水をくれた。ありがたかった。
 [画像:6931478
]DSCN9318チングルマ 実

DSCN9317コケモモ
DSCN9307硫黄岳との別れ
DSCN9308羅臼平から見る羅臼岳
DSCN9304チングルマ花

ここからは写真を多く見ていただこう。仙人坂〜銀冷水〜大沢〜木下弥三吉翁のレリーフ〜羅臼岳頂上
1、大沢で見たフデリンドウ
2、チングルマ
3、羅臼平 霧が出ると迷いやすいところだ。テントが10張張れる
4、木下弥三吉翁のレリーフ
5、フードロッカー
6、フードロッカーの使用説明書
7、羅臼岳頂上での記念撮影会 頂上は六人ぐらい立てる狭さだ。
DSCN9299
DSCN9304
DSCN9306
DSCN9309
DSCN9312
画像
DSCN9320

羅臼岳登山

2020年09月01日
木下小屋の駐車場は5台止めれた。私以外に2名の先着した登山者がいた。18時に着き、管理人四井さんから言われたのは20時消灯だ。夕飯を作って明日の用意を20時までにだ。早速小屋でEPIのボンベを買い、夕食を作る。なぜかカレーだ。これにサバの缶詰、ご飯は少し多めに炊いて明日の昼の分とした。昼に食べるインスタントラーメンも持ってきたが、昼にあまり時間をかけられない。管理人は一緒に長机で食べようお風呂もどうぞと言ってくれるのだが、時間が気になってお喋りしているどころではない。夕飯を食べて、後始末をして、明日の用意をして日記をつけたらもう19時50分になった。木下小屋は3室あって1階に2室、2階に1室だ。三人の泊まり客だったのでそれぞれに一室割り当てられ、私は8畳ぐらいの部屋に一人で寝た。21時ごろに寝て目が覚めたのは4時だった。疲れてたのでよく眠ってしまったらしい。
19日 朝5時起床、5時23分に木下小屋を出発した。外は明るくすでに6名の登山客が登って行った。オホーツク展望で朝食を取る。ガスがかかっているので展望はない。7時5分岩峰標高650mでここから頂上まで5kmの標識があった。熊笹に混じってハイマツが見られ、ダケカンバの細い木が連なる。7時35分弥三吉水(やみきち水)冷たく美味しい水だ。ここまで少し急な登りだったが、ここから先はだらだらと高度を稼いでいく、8時5分仙人坂頂上まで約3km。これまで6組の登山客に追い越された。9時20分大沢入口、頂上まで2km大沢入口から枯れた沢を登る。(6・7月は雪渓がある)ここは少し歩きにくい。風がキツく少し肌寒い。温度計では10度だ。10時15分極楽平の標識とテントが3張ぐらい張れるところへ出る。続いて木下三吉翁のレリーフのところに出た。10張ぐらい張れる。私は初めてフードボックスを見た。これは熊に襲われないためテントに食料を置かないで、このフードボックスに入れるのだ。かなり頑丈に作られていた。頂上がはっきり見えている。双眼鏡で見てみると人が米粒ぐらいだ。
DSCN9271夜はカレーだ。
DSCN9274登山口入口にある分詞の羅臼神社
DSCN9283登山道 木々の間を縫っている
DSCN9290ななかまどのあかい実
DSCN9294木々の間から見る羅臼岳
DSCN9286弥三吉水の標識 ここの水は美味しい