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翌日の秩父観光はカムフォートステイ雅から5分の秩父銘仙館から始めた。秩父は生糸の生産や絹織物の産地で蚕糸組合があったところだ。秩父銘仙館の建物内に昔の蚕糸組合の看板や養蚕業のための工業技術院の名称が柱に掲げてあった。ここで蚕から糸をたぐる実演を見ました。光沢がある非常に細い糸です。
機織りの実演、秩父染の実演もありましたが時間がかかるのでパスしました。代わりに女房のためショールとばあちゃんのため秩父染の手拭いを買いました。次に武甲山資料館を見ました。ここは秩父羊山公園公園芝桜の丘にあり、館内はセメントの開発の歴史を展示していました。秩父のセメントの本格的な発掘が始まったのは大正12年で、後発です。何故かといえばここは信仰の対象だったようで、セメントのため山を掘ることが長い間避けられていたためでした。今は年々石灰岩を掘る量は増えています。またセメントを採掘した跡地に植林も行っています。この後秩父鉄道の御花畑駅にある「はなゆう」と言う蕎麦屋に行き、月見蕎麦を食べました。ここのだしは飛魚です。あごだしです。あごという言葉は屋久島でもあごでした。これだけ離れているのに言葉が共通しているのが驚きました。ここには味噌ポテトもありました。この御花畑の駅から秩父神社に行きました。ここの神社のお祭りは12月2・3日に行われ、地車が出ます。華麗で優雅な祭りで京都祇園祭と並び称されています。秩父神社は創建2100年としていますので紀元前からあった神社です。見ざる聞かざる言わざるの日光東照宮の3猿は有名ですが秩父神社はよくみよう、よく聞こう、よく話そうの3猿です。絵馬にこの3猿が書かれていました。私はおみくじの中にとんぼ玉があり、それに3猿が描かれていました。再び御花畑駅に戻り。このお花畑の駅で1000円の秩父鉄道フリー乗車券を買いました。14日は埼玉県民の日で記念乗車券が発行されていました。ここから長瀞駅に向かい、宝登山神社に行きました。宝登山神社の由来は日本武尊が東国平定の折、ここで突然の山火事に会います。その時に山犬が現れ、瞬く間に火を消し止めたという伝説があります。そこから「火止山=ほどさん」と定めました。後世宝珠が飛翔した神変から「宝登山」と改められたそうです。
今では火災盗難避け、諸難避けとして多くの参詣者で賑わっています。長瀞駅から宝登山神社に行く道中に長瀞ライン下りの券売所があり、ここから乗船場までマイクロバスで送り迎えをしていました。料金は1800円からです。私は他に行くところがあり利用しませんでした。
IMG_9758両神山山頂
IMG_9804秩父銘仙館
IMG_9813機織り機
画像秩父の染め
IMG_9808織機
IMG_9822武甲山の図
IMG_9825石灰岩採掘の手順
IMG_9795秩父神社 知知夫神社

13日朝5時30分起床6時46分薬師堂発に乗るためバス停に向かった。早めに着いたので薬師堂の境内に入ると絵馬にめ・めと書かれていた。ここは眼病を治そうとする人々へ救いの手を差し伸べている。日向大谷口に7時20分に着いた。ここから8時まで歩く。両神山頂まで4,2km、9時までに渡渉4回。10時清滝小屋着。30分遅れている。清滝小屋で非常食・テルモスと雨具をサブリュックに詰め、軽量で頂上を目指す。清滝小屋から産泰尾根出会いまでは急な登りだった。頂上12時15分到着。頂上には10人ほどいたが、狭いので記念写真を撮って降りることにした。急いで降りているので暑い。すごく汗をかいている。13時30分清滝小屋到着。ここで再び12kgを背負う。ここから日向大谷口まで1時間30分で降りなければならない。バスは15時10分発だ。会所まで早く降りたつもりだが、地図のコースタイムとほとんど同じだ。あと20分で降りるにはかなり早くと言うか走らねばならない。15時10分を逃すと次は17時20分だ。なんとしてもそれは避けたい。会所からはほとんど走った。日向大谷口にある民宿が見えたのは15時10分だった。バスはまだ出ていない。大声で「待ってくれー」と叫びながら降りる。13分到着。バスに乗り込む。運転手が言う。すれすれだ。あなたのような人がいるからギリギリ3分待つことにしているのだ。と言う。助かった。ここから三峰口近くまでは疲れから熟睡してしまった。三峰口近くの白川橋・贄川付近でカカシが家のそばや小さな畑のそばに立っていた。この光景は四国のつるぎ山の奥祖谷でも見た。村おこしか?三峰口駅で電車待ちをしているとおじさんが声をかけてきて、ここ秩父の出身者の話をしてくれる。白川橋ではバンジージャンプをやっていると言う。また落語家の林家太平・歌手の冠二郎・アルフィーの桜井賢も秩父だと言って自慢してくれた。ここから秩父鉄道のお花畑まで乗って、今日のビジネスホテルカムフォートスティ雅に宿泊だ。17時20分に到着。ここもgo-to-travelを利用して安く泊まった。1時間して夕食に西武秩父駅の祭り会館に行くと19時で終了だった。ゆっくり夕食を食べたかったので夢庵に夕食を食べに向かう。自分へのご褒美に夢庵御膳と白玉あんみつを食べる。明日は秩父観光だ。
IMG_9727日向大谷口から両神山へ4,2km
IMG_9729小休止
IMG_9745清滝小屋到着
IMG_9751]両神神社
IMG_9753[/左両がみ神社の狛犬は狼
IMG_9755
山頂へ100m
IMG_9758両神山山頂

皆様お元気ですか。私は11月12日から4泊5日で上記の山や秩父観光をしてきました。本来両神山と雲取山の登山でしたが、雲取山の山行で雲取山荘の宿泊が14日土曜日に取れなくて1日伸ばしました。そこで空いた1日を秩父観光に当てたわけです。12日は昼に出発して小鹿野町(おがの)の国民宿舎の両神荘に泊まりました。堺から新幹線で東京に行き、そこから北陸新幹線で熊谷へ熊谷から秩父鉄道の終点三峰口に、そこから小鹿野町営バスで薬師の湯・さらに薬師堂へと行き、両神荘には午後7時につきました。新幹線は5割程度の混み具合でゆったりしてました。熊谷からの秩父鉄道は中学生か高校生ぐらいの子供たちがかなり乗っていました。4時過ぎから5時ごろだったので下校時間だったのでしょう。三峰口の終点で18時11分もう真っ暗でした。小鹿野町営バスの乗客は私一人でした。薬師堂でバスを降りると薬師の湯があり、駐車場はいっぱいでした。この奥に両神荘があり、手前の駐車場はやはり車がいっぱいでした。東京から日帰りで来れるので人気があるのでしょう。紅葉と温泉と両方が楽しめる場所です。着いてすぐに宿泊代を払いました。今回はJTBを利用しgoーtoキャンペーンを適用してもらいました。当初一泊夕食付き11,000円だったのが半額近くまで割引されすごい節約になりました。部屋と同じフロアーに浴場があり、すぐに風呂で汗をながし、夕食(おがの膳)をいただきました。ここも味噌ポテトやご飯・味噌汁・うどん・コーヒーはセルフでした。山のおかず(こんにゃくやごぼうを調理したもの)両神しゃくし菜漬け、それと秩父の名物?手作り味噌ポテトが美味しかったです。おかずは12品あり、結構楽しめました。明日は6時45分のバスに乗らなければならないので登山の準備をしました。今回は防寒具を多めに持ってきたので重量は12kgなりました。しかしこの埼玉の奥地は暑い。20度を超えていました。
IMG_9700秩父鉄道 ワンマンカー
IMG_9702秩父鉄道 車内風景
IMG_9706おがの御膳
IMG_9710部屋の様子
IMG_9714薬師の湯
IMG_9713国民宿舎 両神荘
IMG_9718薬師堂 目の守神

9合目(13時45分)から8合目の下りは90分で女人堂小屋についた。予定通りだ。登山道は時々ロープが張られているが鎖場はない。道は雪化粧しているが、下りのコースを見誤る事はない。道の両側にハイマツがあり、そのハイマツの間が道になっている。女人堂小屋に着いたところで握り飯1個食べた。まだスーパーで買ったサーモンイクラ丼は手をつけていない。じっとして食べる余裕がない。そんなことしたらたちまち体が冷えてしまうだろう。女人堂小屋のところにえらいお坊さんの坐像が2体置かれていたので手を合わす。その少し横には鐘があり木槌も置いてあったので4回打ち鳴らした。相変わらず雪は舞っているが風が少しおさまった。女人堂小屋からの下りはそんなにきつくなかった。中国人3人組もペースをあげた。追いつかない。マイペースで7合目の行者山荘に15時25分着く。ロープウェイの最終は16時だから十分余裕があった。それでもロープウェイの鹿ノ瀬駅でお土産を買う余裕が欲しい。ロープウェイ飯盛高原駅到着15時35分すぐにロープウェイに乗り込む、一人だけなのでゆっくりできた。そこでサーモンイクラ丼を食べる。ロープウェイの乗車時間は15分あるから余裕だ。水筒からお茶も少し飲む。鹿ノ瀬駅でバスを待つ間20分あるのでお土産を買う。りんごが新鮮で安い。いろいろ合わせて3250円も買ってしまった。リュックが重い。ここには8合目であったおばちゃんグループもいた。それぞれにワイワイ言いながらお土産を買っている。木曽福島駅17時15分到着。特急信濃20号の発車まで16分ある。再び土産物を買う。そして頑張ったご褒美にエビスビールもだ。列車に乗って今回の登山を振り返る。御嶽山は冬山と変わらない。装備にもっと配慮が要った。7合目から8合目へいく途中、それと8合目近くで硫黄の匂いがキツかった。やはり活火山だ。
IMG_9593まるで冬山
IMG_9595二人のえらいお坊さんの坐像 誰か確かめる余裕は無かった
IMG_9596女人堂
IMG_9597御嶽山登山の情報 警戒レベル1だ
IMG_9601ロープウェイ飯森高原駅で記念撮影
IMG_9603お土産の数々 焼酎・りんご・饅頭・漬物・蕎麦・五平餅など
           野沢菜時雨は特にうまかった

7合目から8合目への上りは汗も出たが、止まっているとすごく寒い。時折あられみたいなものがレインウェアーのフードを叩く。少し風があるのだ。8合目女人堂につく少し前からあられが横なぐりにフードを叩く。11時40分女人堂着ほぼ予定した通りの時間だ。ハイマツ帯だ。女人堂を越したところでかなり吹雪いてきた。それと呼応するかのように上の方から登山者が10数名降りてきた。関西弁を喋っている5名のおばちゃんグループはもうあかん景色どころではないわーと言って降りていった。続いて男4名のグループが降りてきた。寒いしこれから吹雪が強くなるから降りてきた。「あんたこれから登るの」とわたしの白髪まじりにびっくりして聞いてきた。少し置いて山ガールが降りてきた。吹雪いて残念だけど私雷鳥を見ました。ラッキーだった。こんな事もないとね。と嬉しく喋ってくれた。後は黙々と降りていく人たちだった。8合目から9合目の途中でカメラをレインウェアーの内にしまった。今回はキャノンのEOSだから防水構造でない。オリンパスのタフを持って行こうと思ったが、今回は晴れの予想が出ていたのでキャノンにした。でも3000m級の山では非常識なのかもしれない。8合目から9合目までは吹雪の影響でかなり時間がかかってしまった。13時45分石堂小屋到着 そしてここから10分のところ以上は行けないことになっている。「木曽御嶽ガイド登山マップ」によると2020年7月1日午前8時より10月13日午後2時まで通行可能だった。石堂小屋でカメラで自撮りをしようとシャッターを押したが撮れなかった。リングに雪が積もりそれが凍って自動焦点ができず、シャッターが下りないのだ。ここで朝バスで一緒だった中国人の3人グループに会う。彼らはスニーカーやバスケットシューズで下山してきた。いずれも若者達である。日本語はできないと言う。英語での会話になった。上海から来ていると、雪は初めてで3人とも雪を喜んでいるように見えた。彼らはよく転んだ。仰向けに転んでいるのであまり心配はない。きれいに転けたりしたので、nice sliding isn't it?と囃し立てると、It's first time to snow. It doesn't snow in syanhaiと言って転ぶのも楽しいみたいだ。私も仰向けに10回ぐらい転んだ。ちょっと油断していた。3時過ぎになると木の階段に降り積もった雪が凍り、足をかけた途端スルッと滑るのだ。時間を考えていなかったし、アイゼンも持ってこなかった。
IMG_95737合目の小屋
IMG_9576標識 7合目から8合目
IMG_9578雪がだんだん積もってきた
IMG_95818合目 女人堂小屋
IMG_9584岩また岩の間を登る
IMG_9585すっかり吹雪いているかすかに石堂小屋が写っている
IMG_9587ヘルメット姿
IMG_9589中国人グループ

木曽福島の観光名所を訪問して旅館木曽三河屋に5時過ぎに戻った。一階のシングル部屋(バス・トイレなし)は広く快適だ。すぐ横に風呂やトイレがあり便利だ。ここは基本料金が安かった。安さの秘訣は人件費を抑えている事だ。例えば丹前や浴衣・タオルはレセプションの向えに置いてあり、自分で選んで部屋に持っていく。又食事の時ご飯と味噌汁は各自がよそおうようにしてある。私が嬉しかったのは4階にオープンスペースがあり、寛げた事だ。ソファーがあり、マッサージ機(無料)やテレビ、自販機があり、ゆっくりできた。
翌朝のスケジュールもゆったりしていた。木曽福島のバスの始発が8時40分
駅前の観光案内所で御嶽山のどこまで登れるか聞くと、警戒レベル1で9合目の石堂小屋から少し行ったところという。とりあえず今回は9合目の石堂小屋にすることを決定。バスは50分程でロープウェイの鹿ノ瀬駅についた。私はこのロープウェイにもう30年前に乗ったことがある。この頂上駅からスキーで鹿ノ瀬駅まで降りていくのだが、かなり傾斜があり、こわかった。30名ほどの登山者がおり、軽装備、重装備とまちまちだ。だが私のようにヘルメットをかぶったものは一人もいなかった。切符売り場では最近雪が降っておりアイゼンがいる場所もあると案内していた。15分で頂上駅に到着。海抜2150m 気温5度寒い慌ててセーターを出して着る。完全に曇り空で時折細かい霙のようなものが顔にかかる。
10時30分7合目小屋ここまでの道は登山道に木のチップが敷き詰められ快適だった。汗が出てきたので、セーターを脱ぎレインウェアーに替える。
IMG_9566くるまや 蕎麦屋さん
IMG_9565木曽三河屋の食堂
IMG_9570ロープウェイ鹿ノ瀬駅から向かいの山を撮る
IMG_9567ロープウェイ鹿ノ瀬駅
IMG_9568ロープウェイ鹿ノ瀬駅近く
IMG_9569ロープウェイ飯森高原駅近く
IMG_9571ロープウェイより7合目小山での登山道

くるまやで腹ごしらえが済むと大手橋から山村代官屋敷へ向かった。山村氏は木曽の代官と関守を兼ねていた。建物は享保8年(1723年)に建造された。庭は築山池泉式庭園で木曽駒ヶ岳を借景としている。展示品の中で面白いものは貝合わせと植物標本だった。貝合わせはトランプの神経衰弱のようなものでハマグリの貝殻の中に花の絵や錦絵が描かれてあり、貝は伏せておかれ同じ絵を引き当てる遊びだ。植物標本はおそらく薬用に使われたものだと思う。天保15年のもので全て漢字で書かれていて読めなかった。又この山村家の当主達は文学的な才能も併せ持ち、10代の良喬(たかてる)公は俳諧をよくしたそうである。木曽文学発祥の地とも言われている。ここを出て、崖家造りを見る。これは広い道を作ることを優先し、川沿いの土地の有効活用のため、3階、4階建てと川に迫り出したように建てられているのが珍しい。また中山道の街道の上には狭い敷地ゆえの小路が発達し、馬宿小路・寺門前小路などの名前が残っている。この小路の突き当たりに高札場と祭り会館があったので祭り会館に寄ってみた。ここには木曽福島を代表する祭りである水無神社の神輿のレプリカが置かれている。又木曽踊りの大提灯が展示されている。『みこしまくり」の由来は木曽から飛騨に杣、匠の仕事に出ていた惣助と幸助という兄弟がいました。飛騨で戦乱に巻き込まれ、一宮の神様を守ろうと、御神体を神輿に載せて木曽に逃げてきたそうです。しかし、長峰峠で追っ手に追いつかれ、攻防するうちに神輿が地面に落ちてしまいました。ちょうど木曽側の下り斜面だったため、そのまま神輿を転がして追ってから逃れたそうです。この言い伝えの話の「惣助と幸助」の労苦と偉業をしのび、故事に倣って神輿をまくる(転がす)のが「みこしまくり」です。惣助・幸助と声を掛け合いながら神輿を「横まくり」横に転がす、「縦まくり」縦に転がす、そして最後には壊してしまうという荒っぽいお祭りです。
IMG_9540崖家造り
IMG_9543山村代官屋敷
IMG_9548貝合わせ
IMG_9550築山池泉式庭園
IMG_9553小路
IMG_9558水無神社の神輿
IMG_9559木曽踊りの大提灯
IMG_9561高札場と高札の数々