本日 168 人 - 昨日 225 人 - 累計 259504 人
RSS
木曽福島の観光名所を訪問して旅館木曽三河屋に5時過ぎに戻った。一階のシングル部屋(バス・トイレなし)は広く快適だ。すぐ横に風呂やトイレがあり便利だ。ここは基本料金が安かった。安さの秘訣は人件費を抑えている事だ。例えば丹前や浴衣・タオルはレセプションの向えに置いてあり、自分で選んで部屋に持っていく。又食事の時ご飯と味噌汁は各自がよそおうようにしてある。私が嬉しかったのは4階にオープンスペースがあり、寛げた事だ。ソファーがあり、マッサージ機(無料)やテレビ、自販機があり、ゆっくりできた。
翌朝のスケジュールもゆったりしていた。木曽福島のバスの始発が8時40分
駅前の観光案内所で御嶽山のどこまで登れるか聞くと、警戒レベル1で9合目の石堂小屋から少し行ったところという。とりあえず今回は9合目の石堂小屋にすることを決定。バスは50分程でロープウェイの鹿ノ瀬駅についた。私はこのロープウェイにもう30年前に乗ったことがある。この頂上駅からスキーで鹿ノ瀬駅まで降りていくのだが、かなり傾斜があり、こわかった。30名ほどの登山者がおり、軽装備、重装備とまちまちだ。だが私のようにヘルメットをかぶったものは一人もいなかった。切符売り場では最近雪が降っておりアイゼンがいる場所もあると案内していた。15分で頂上駅に到着。海抜2150m 気温5度寒い慌ててセーターを出して着る。完全に曇り空で時折細かい霙のようなものが顔にかかる。
10時30分7合目小屋ここまでの道は登山道に木のチップが敷き詰められ快適だった。汗が出てきたので、セーターを脱ぎレインウェアーに替える。
IMG_9566くるまや 蕎麦屋さん
画像木曽三河屋の食堂
画像ロープウェイ鹿ノ瀬駅から向かいの山を撮る
IMG_9567ロープウェイ鹿ノ瀬駅
画像ロープウェイ鹿ノ瀬駅近く
画像ロープウェイ飯森高原駅近く
IMG_9571ロープウェイより7合目小山での登山道

くるまやで腹ごしらえが済むと大手橋から山村代官屋敷へ向かった。山村氏は木曽の代官と関守を兼ねていた。建物は享保8年(1723年)に建造された。庭は築山池泉式庭園で木曽駒ヶ岳を借景としている。展示品の中で面白いものは貝合わせと植物標本だった。貝合わせはトランプの神経衰弱のようなものでハマグリの貝殻の中に花の絵や錦絵が描かれてあり、貝は伏せておかれ同じ絵を引き当てる遊びだ。植物標本はおそらく薬用に使われたものだと思う。天保15年のもので全て漢字で書かれていて読めなかった。又この山村家の当主達は文学的な才能も併せ持ち、10代の良喬(たかてる)公は俳諧をよくしたそうである。木曽文学発祥の地とも言われている。ここを出て、崖家造りを見る。これは広い道を作ることを優先し、川沿いの土地の有効活用のため、3階、4階建てと川に迫り出したように建てられているのが珍しい。また中山道の街道の上には狭い敷地ゆえの小路が発達し、馬宿小路・寺門前小路などの名前が残っている。この小路の突き当たりに高札場と祭り会館があったので祭り会館に寄ってみた。ここには木曽福島を代表する祭りである水無神社の神輿のレプリカが置かれている。又木曽踊りの大提灯が展示されている。『みこしまくり」の由来は木曽から飛騨に杣、匠の仕事に出ていた惣助と幸助という兄弟がいました。飛騨で戦乱に巻き込まれ、一宮の神様を守ろうと、御神体を神輿に載せて木曽に逃げてきたそうです。しかし、長峰峠で追っ手に追いつかれ、攻防するうちに神輿が地面に落ちてしまいました。ちょうど木曽側の下り斜面だったため、そのまま神輿を転がして追ってから逃れたそうです。この言い伝えの話の「惣助と幸助」の労苦と偉業をしのび、故事に倣って神輿をまくる(転がす)のが「みこしまくり」です。惣助・幸助と声を掛け合いながら神輿を「横まくり」横に転がす、「縦まくり」縦に転がす、そして最後には壊してしまうという荒っぽいお祭りです。
画像崖家造り
画像山村代官屋敷
IMG_9548貝合わせ
画像築山池泉式庭園
IMG_9553小路
IMG_9558水無神社の神輿
画像木曽踊りの大提灯
IMG_9561高札場と高札の数々

関所を出てからすぐ横の高瀬家資料館に行った。ここは簡単に済まそうと思った。もう1時を少し回っている。雨も止んできた。入り口に誰もいなかったので150円出してすぐ横の資料館に行こうとしたら奥からおばちゃんが急ぎ足で現れた。よくぞ来てくれたでもいうように挨拶され、それからおばちゃんの話が始まった。高瀬家は九州の菊池家を祖としている。大坂冬の陣以降に木曽福島の山村家に仕え砲術指南役やお側役として幕末まで支えた。それと島崎藤村との関係が深く、藤村の姉園が嫁いだ先であり、小説家のモデルになった家であると、又藤村は4人の子供がいて、そのうちの一人4男を2歳から10歳になるまで預かったという。のちにこの子は画家になった。
九代目高瀬新助が奇応丸を発明し、徳川家献上の薬となったという。今ある奇応丸は全て真似をされたもので、江戸時代奇応丸が各地で作られたという。この奇応丸の本家は昭和28年に潰れてしまったということだ。私はここまで聞いて帰ろうと思ったら、2階に上がれという。2階は藤村からの手紙や四男の画家の絵が展示してあった。これで終いではない。庭に出てうちの庭はずっと50m先の高台まであったが、鉄道が通るために没収にあって小さくなったと。庭の説明があったが腹が減っていたのでほとんど忘れた。2時になっていた。すぐに「くるまや」という大きなお蕎麦屋さんに向かった。2時を過ぎてもやっていたのですぐそばを注文した。食べ応えがあるどっしりとした蕎麦で最後には蕎麦湯が出た。
画像高瀬家の庭
IMG_9537高瀬奇応丸
IMG_9538奇応丸を作った道具類

御嶽山登山が解禁されたのを8月ごろだったか新聞記事で見て、行ってみようと思った。ただ9月には木曽駒ヶ岳と空木岳10月には火打山・妙高山と計画していたのでその後すぐに登ろうと思った。ただ残念なのは10月11日で山小屋が全て閉鎖されたことだ。10月の23・24・25のうちの一泊2日で計画、10日前の天気予報で23(金)・24(土)に決めた。23日に木曽福島の旅館で一泊、翌日ロープウェイを利用すれば大阪への日帰りが十分可能だ。23日は木曽福島界隈の寺や関所跡など見学した。まずは木曽福島駅に下車し10時30分から観光した。駅前に観光案内所があり、いろいろな便宜を提供してくれる。木曽福島3館共通券プラス1というのがあって、興禅寺・福島関所資料館・山村代官屋敷と高瀬資料館だ。
3館分が900円そして高瀬資料館も見たいならば現地で150円追加して払えば良い。そこで駅から一番遠い興禅寺から回った。ここは木曽義仲の菩提寺で1434年の創建です。臨済宗妙心寺派に属し、看雲庭は見事な枯山水の庭で、平成になって作られ大きさは日本一です。次に寄ったのが関所です。この関所は日本四大関所の一つで中山道のほぼ中間点に設けられました。入り鉄砲に出女で特に女性の関所通行に大きな制約がありました。女手形を庄屋から発行してもらい通行するのに最低で2時間、時には半日かかることもあったようです。又大名行列などは1日で通行できない時もありました。今までで最大の行列は和宮降嫁でした。
IMG_9504看雲庭
IMG_9490看雲庭
IMG_9503天井に描かれた花の絵 
IMG_9510木曽節発祥の地
IMG_9512福島関所
IMG_9518十手やさすまたなど
IMG_9527記念撮影

収穫

2020年10月27日
農園の作業は一昨日落花生の収穫をした。思ったより多く実を付けていて1kg獲れた。苗は2株だから多く獲れたのではないだろうか。プチ農園なので伸びた茎の全てに土をかぶせることはできなかった。落花生の後はキャベツと・レタスを植えた。大根・人参・白菜少しずつ大きくなっている。イチゴは茎が伸びて4箇所新たに根を下ろした。ピーマンは相変わらず毎日収穫できている。虫がついてピーマンの中にいる時もあり、モロヘイヤと青紫蘇は引き抜いた。今日は落花生を塩茹でした。海水の塩分濃度と同じにして炊いてみた。
IMG_9623 収穫した落花生
IMG_9624 塩を入れて約30分間中火で炊く
IMG_9625 ピーマンは収穫時期が長い。もう二ヶ月以上収穫できているかも

前のページ
次のページ