9月26日(火)大阪吹田の国立民族学博物館で開かれている標記の展覧会に行った。日本が鎖国している時に自由に日本と交易出来たのは中国とオランダだけだ。何故オランダかは江戸幕府が極度にキリスト教を嫌ったからだろう。それまで宣教師はキリスト教の布教と同時に裏では火縄銃や鉄砲や大砲までも日本に持ち込み、幕府の存在を脅かす物であった。オランダはそのころやっと国として安定し、スペインやポルトガルやイギリスのように交易による利益と植民地を求める活動に入るのである。日本とオランダの交わりの始まりはリーフデ号が難破して豊後国臼杵に漂着した時に始まる。それから辛抱強く日本と交易を続け、日本が西洋の情勢を見る窓のような存在であった。シーボルトは1823年8月に初来日している。そして11月頃にはシーボルトの身の周りを世話する其扇(そのき)オタキと夫婦生活をはじめている。そして1827年に日本で初めての女医となる楠本イネをもうけている。
シーボルト展パンフレット10月10日までだ。
系図
其扇(おたき)当時16歳
イネ 日本で初めての女医 産科
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シーボルト展パンフレット10月10日までだ。
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其扇(おたき)当時16歳
イネ 日本で初めての女医 産科
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