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信楽へ3

信楽焼は室町・桃山時代に茶道の興隆とともに茶人に愛用されました。江戸時代になってのぼり窯(古墳時代から使われていた物で当時は須恵器の生産に使われた)がつかわれるようになってからは焼き物は庶民の物となっていった。のぼり窯の特徴(大きな器や大量生産に向く)特に茶壺を主として水壷・味噌壷・すり鉢・徳利皿等を生産、又火鉢の生産は明治大正昭和を通じて全国で90%のシェアがあったと言われています。しかし燃料革命で電気.石油暖房器具が普及し始めると需要が亡くなり、代わりに植木鉢の生産や庭園の陶器、インテリア、花器等に移っていきました。信楽の狸は江戸時代から作られ始め最初は茶会の場で飾り物として着物を着た狸であった。明治の終わりから大正にかけて徳利・通帳をもった酒買小僧スタイルの狸の焼き物が作られ福徳狸と呼ばれ評判を取った。さらに昭和26年天皇行幸の時に「幼などき あつめしからになつかしも 信楽焼のたぬきをみれば」と詠われてから「陶製たぬき」の産地として有名になりました。天皇は幼児期に狸のコレクションをしていた事をおもいだされて詠いました。これが新聞報道されたのです。
信楽焼狸のかずかず
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