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壱岐対馬へ(壱岐対馬を巡る万葉の旅)3

一支国博物館でお土産を沢山買ったが特に凧が気に入った。この博物館を後にして原(はる)の辻遺跡にいく。ここではボランティアのガイドさんがいて色々説明して下さった。まずここの遺跡は静岡県の登呂遺跡、佐賀県吉野ヶ里遺跡、そして壱岐の原の辻遺跡が国の特別遺跡の指定を受けている。魏志倭人伝より「対馬国を出て、又南に海を渡ると一支国に着く、海の名はかん海という。林が多く、少し田はあるが、田を耕しても、食料が足りないのでやはり南や北へ行き、交易をしている。」今遺跡は調査がかなり進んでいろいろな事がわかって来た。23の建物があって17棟が復元されている。3棟は燃えた事がわかっている。この竪穴式住居は交易で来た人が泊まったところですと、高倉 木の壁は食料庫であり、土の壁は交易品を収納する倉庫であった。この交易品の中に猫があった。ネズミの害を防ぐためである。(ツシマヤマネコと違う)原の辻遺跡の大きさは東西350m南北750mの平野で後楽園ドーム5個分の広さと言う。これは長崎県で2番目のひろさだ。集落の周囲には環濠が幅2m〜3,6m深さ0,3〜1,4mで張り巡らされていた。
向こうにある物見櫓は低い場所にありますが、高いところにあると海から見え、攻撃の対象となるので低いのですと、白村江の戦いで唐・新羅の連合軍に倭と百済で戦って破れた事が原因で怯えていたのであろう。ガイドはまた男と女の仕事の分業が弥生のころから始まったとも言う。女は家で火を守っていたのであろうと。
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原の辻遺跡 全景
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竪穴式住居 入り口から階段状になり50cm位低いところに下りる
交易者の泊まったところ
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高倉 これは食料庫 板壁だ。
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高倉 これは交易品の倉庫 土の壁だ
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物見櫓 相手にわからないように低い櫓だ。

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