本日 504 人 - 昨日 382 人 - 累計 505393 人
RSS

九州旅行3

吉野ヶ里遺跡を見た後九州国立博物館によった。私と友人は70歳以上ということで入館料は0円。ここは国立博物館の中で最大規模を誇る。館内は撮影禁止のためこれといった写真は撮れていない。ここの博物館の展示のコンセプトは近代以前の文化交流の歴史である。1、縄文人海へ 2稲つくり、国つくり、3遣唐使の時代、4アジアの海はこれ交易 5丸くなった地球近づく西洋となっている。こう言う展示もあるのかと思った。末木の展示などは渡来人たちが堺に住み着き、土師氏と呼ばれて古墳の作成や埴輪、須恵器などを作り」全国津々浦々に伝搬していった。まさに交易だ。遣唐使はいろいろな文化を運んできたし、いろいろな文物もこの時に入って来ている。お茶などはその際たるものだ。続いて南蛮貿易、琉球が中継地点のような働きをしていたこと、近づく西洋はちょっと理解できなかったが、長崎平戸からの西洋文化の押し寄せなど見るものは多い。ただちょっと残念なのは館内が暗いことだ。展示物は十分照明が浴びせられていたが、人の歩くところは暗かった。ところで館内に宣伝のパンフレットがあり、「ムナカタ」は宗像・沖ノ島に行ってみたくなるようなものだ。またインターネットで九州国立博物館の会員登録をすれば過去の資料の概要を知ることができ、またこれからの展示の解説本などが求められるようにしてある。九州国立博物館から太宰府天満宮に回ったが、15分とかからなかった。太宰府天満宮は菅原道真・学問の神様をお祭りしている。実際の太宰府は筑紫野市と太宰府市にまたがる25万4千平方メートル甲子園球場の6,4倍の広さである。令和の年号の元となった梅花の宴は太宰府天満宮で催されたと錯覚している人もいるが、梅花の序は大伴旅人が727年頃着任し、梅花宴は「天平2年正月13日に、帥老(そうろう)の宅(いえ)に萃(あつ)まりて宴会を申(の)ぶ。この帥老が大伴旅人であろう。山上憶良ともいえるが、大伴旅人は無事任務を全うし、京都に返り咲いている。位階も大納言までなっている。左遷されたのは菅原道真だけか?
 さて太宰府天満宮では学問の神様だけあってお守りも学業成就というのが所狭しと並べられていた。私の興味はちょっと違ってここの巫女さんの髪飾りだ。例えば春日大社は藤の花、住吉大社は松だ。天満宮の巫女さんの髪飾りはのしをひっくり返したようなものだった。それが何を意味するのかは調べていない。ここで「梅枝餅の土産を買って博多まで戻った。
P4040060九州国立博物館
画像太宰府天満宮
P5059756太宰府正面
P4040064学業成就のお守りの数々
P4040069巫女さんたち髪飾りに注目
P4040072友達と記念撮影
P4040074御神牛
P4040075梅枝餅を売っている通り

コメント
name.. :記憶

画像認証
画像認証(表示されている文字列を入力してください):