華厳の滝からおかじんに戻ってすぐ夕食となった。女将さんが切り盛りしているが時折主人が出てきて事務室のようなところで釣りの情報誌とやりとりをしている。今はこれが主な仕事だという。女将さんの年齢は81歳だ。でもまだ頑張らなければならないという。風呂上がりに足尾銅山に行く計画を建てた。私は以前足尾銅山に行く経路を調べたことがあるが、この時は渡瀬鉄道に乗っていくものだった。今は日光から日光交通のバスが一日6本出ている。所要時間は53分・料金1200円だ。桐生からわたらせ渓谷鉄道も出ているがこちらは90分かかる。運賃は1130円あまり変わらない。日光9時35分発で10時28分に洞山観光前で下車した。土砂降りだった。
すぐそばに市民センターがあり、その2階が足尾銅山文化交流館になっている。入場は無料で土日祝と木曜日が開館している。冬季は12月から3月まで閉館しているので注意を要する。文化交流館に見学者は私ともう一人いたが、そんなに関心を示さず10分ぐらいで帰ってしまった。私が詳しく見てるとボランティアの60すぎぐらいの男性が話しかけて来て熱心に案内してくれた。まず足尾銅山はの発見者は百姓治部と内蔵と記され二人の生まれた国は備前であるという。このふたりが足尾に来て黒岩山に登り、銅の露頭頭部を発見したということである。1611年に江戸幕府に銅を献上、そして寛永年間は日光山主天海大僧正が足尾銅山を経営したと、1648年になって幕府の御公儀御用山となった。ここから幕府が開発に力を入れ、年間1500トン生産したという。そして銅は江戸城や日光東照宮の屋根瓦に使用された。幕府はこの銅をオランダや中国にも輸出したという。しかし銅を掘り過ぎて、幕末には休山状態になったという。明治に入り栃木県の管轄になり、明治10年(1877)に古河市兵衛が足尾銅山を買い取った。