登りながら同輩の思い出が頭を巡る。彼と最後に会ったのは昨年の12月11日だ。4年前のOB会で「俺は癌でもう1年も生きられないと医者から言われ、こうしてみんなに会いにきたのや」と言っていた。それから3年も生きていた。12月に会ったときは体重が39kgと言う。それでも昨日より500g増えたと喜んでいたのだ。彼の最後の著作は「宮本常一と民俗学」であった。読んでなかなかいい出来栄えだった。まだしたい仕事も多かったに違いない。私も海で働く人々を訪ね歩いたことがある。三重県の鳥羽や石川県の輪島、そして愛媛県の佐多岬の海女士(これは男が潜るのだ)そんな思い出が脳裏にかすめ、ただ歩いているだけの登山だ。そこへ後輩から電話がかかってきた。「森本さん死んでしまったけど、どうするのですか」「まあ葬儀にはコロナだから行けないので弔電でも打っといたら」と返答した。それから彼についてごちゃごちゃ話すので「登山中だ」と言って一方的に電話を切った。雪はしっかり固まっているので登山道を踏み外さなければ、ズボッと潜ることはない。ただスノーシューの滑った後は道がわかりにくくなっていた。ふもとで積雪50cmマイナス2度だからこの辺は雪が深く気温はまだ低いであろう。坊村⇔御殿山の標識があった。標識の上部だけ頭が出ているから積雪は1mを超えているだろう。標識で小休止した。ここでまた電話が入った。先程の先輩である。彼は同輩と先輩たちに連絡を取るから米道は同輩と後輩たちにそれも親しかった奴らに電話してくれと言う。登山が終わったら電話するからと答えながら、先輩に彼にまつわる話を聞く。これで1o分はロスした。今回の登山は電話だけで30分もロスしている。一本松の手前でおじさんの落人に危うく巻き込まれそうになった。ほんの30cm横を滑り落ちて行った。トラバースがきっちりできていなかったようだ。この調子だと御殿山も無理かもしれない時計は午後1時だった。20分登った一本松で休憩し、昼食にした。