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民族学博物館 焼畑 佐々木高明が見た五木村2

佐々木先生は五木村の後に1963年7月から1964年3月末までネパールとインドで民族調査を行っている。日本民族学協会の主催による「第3次東南アジア稲作民族文化調査団」の一員としてである。団長は川喜田二郎でインド高原のバーリア族の焼畑の研究を行ってきた。これは月刊「地理」の中で「バーリア族調査記」と言う形で出されているが、これとは別に「インド高原の未開人」と言う本を1968年7月に出版されている。彼が前書きの中で「バーリア族の一村落で私が具体的に体験し、村人との生活の関わり合いの中から私自身が確かめた事実をできるだけナマの形で記述し、それをもとにこのむ村の生活誌、あるいは民族誌を描き出そうと言うことであった」としている。私はここに彼が日本との比較の中から歴史的な視点が加わったと思っている。生活誌・民族誌は歴史だ。過去を見つめると定期的な採集していた時代が見えてくる。また彼は焼畑農業の耕地の収穫量と養える人数の計算までしていて、次第に換金作物にとって変わっていくことも見据えている。クルワ(焼畑)の農業経営で人口増加による焼畑民のとるべき道も焼畑から定着農業への転換(進出)または都市への出稼ぎ労働が必要になるだろうと

P5221406インドダバニ村の風景(インド高原の未開人より)

P5221407トウモロコシとモロコシの混栽培 傾斜が30度(インド高原の未開人より)


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