自然の保護・保全とは何だ
(1回目)
堺に大きな児童館ができた。大阪市内に7箇所あった児童館をまとめたものであるあらしい。7箇所の児童館は閉鎖された。私はこの児童館のボランティアを少し経験した。経験したというと活動しましたといった感じになるのであろうが実際は遊んでいたといったほうが正しい。阿倍野・東淀川・小田町・松の児童館へ時々行ってみたが中でも阿倍野が一番多く行った。ここは幼稚園と併設になっていて入り口が別々に設けてあり、児童館が2階・幼稚園が1階にある。施設は体育室(バスケットのコート半分ぐらいの大きさ)・図書室・工作室がある。これらの施設の収容人員は50人ぐらいであろうか、阿倍野に行った時に最高で50人ぐらいだったような気がする。子どもたちは幼稚園から高校生まで登録でき、登録すると4月から翌年3月まで一年間この館を利用できる。また無料である。体育室には卓球台・トランポリン・体操用マットがあり、ここでよく子どもたちと卓球をしたものだ。図書室は棚が2段の低い書架があり、廊下から子どもたちが何をしているのか見られるようになっている。机や椅子は無く、寝そべって読む子や、座って読む子などさまざまな読み方で本を楽しんでいた。本は寄付と図書館の要らなくなった本や、更新時の破棄処分の本が使われていた。工作室は工作台が3台あり、その頃ゲイラカイトがはやっていたので材料代だけとって子どもたちに正月前に作らしていた。また足踏み式の糸鋸機もあり、動物バッチを作るのに薄いベニヤなど切っていた。将棋や碁なども貸し出していたがあまりやる子はいなかった。この工作室ではそのほかに紙ヒコーキや折り紙などしていた。児童館は子どもに遊び場を提供していたといえる。児童館の職員は遊びの提供者で毎週月曜日から土曜日まで曜日によって提供する遊びを変えていたのと季節ごとの子どもの遊びを取り入れていた。工作は廃材など利用して作るものが多かった。例えば牛乳パックであり、ペットボトルであり、かまぼこ板であり、糸巻きである。しかしだいぶ前から糸巻き工作やかまぼこ板の工作は少なくなってきている。けん玉はけん玉大会を開き、主に小学校高学年の子どもが「もしかめ」の練習に明け暮れていた。オセロも大会を開き、競い合った。しかし時々ゲームボーイを隅っこのほうでやる子もいたが、少数であった。今から30年近く前のことである。
さてこの児童館の最大の行事が8月にある夜店ごっこだ。神社やお寺で催される夜店と同じようにいろいろの店を出す。それも企画は児童館から出すがその担い手はすべて子どもたちだ。あて物(紐をひくとおもちゃなどが当たる)、輪投げ、射撃(輪ゴムの鉄砲で置物を倒す)スーパーボールすくい、ようよう、氷かき、綿菓子、たこやきそしてかぶとむし売りがあった。氷や綿菓子やようようは機械をあらかじめ業者から借りていた。そのほかは全部手作りで、カブトムシは児童館職員や私のようなボランティアが大阪府内の里山に出かけていって採った。たいがい滝畑ダムのほうへ行くことが多く、阿倍野児童館を小学校高学年と中学生とともに5時ごろに出発し、約2時間かけて現地に到着した。そこでテントを張り、簡単な食事を済ませ、カブトムシの餌になる黒酢と黒砂糖を混ぜた液を作り9時ごろから懐中電灯便りにクヌギやコナラの林に入っていくのである。ここには炭焼き釜は無いが、薪として使っていたのでかなり林として残っていた。当時シイタケ栽培が盛んであったのでホダ木に使っていた。木に汁を刷毛で一本ずつ塗っていくのである。約30本塗って朝を待つのである。夜懐中電灯の光に蛾の仲間がよく来た。またゴマダラカミキリなどかみきり虫類とコクワガタも来た。テントに帰るとのどがむちゃくちゃ渇いているのがわかり、すごく水を飲んだのをよく覚えている。こうして朝の4時頃まで寝るのである。蜂に刺されないようにほっかむりと軍手、長袖を着て補虫網片手に4時30分頃から昨日塗った木を一本一本見て回るのである。カブトムシのオスがいようものならワーワー子どもたちが声を出し、我先に採りたがるのを制して、まず静かにさせる。その上でスズメバチの危険がないか点検し、それから採るのである。カブトムシは人間に見つけられてもすぐに逃げることは無い。網をかぶして素早く引きずるように採るのである。何も来ていない木は足で木を蹴飛ばしその振動で落ちてくるカブトムシを採った。何本かに一本はこんな感じで取れる時もある。こうして多い時で10数個採った。帰りはシイタケのホダ木の古い木をおじさんに分けてもらった。私や子どもたちにとっての里山はカブトムシのいる場所であり、夏の夜店ごっこの目玉商品を取りに行く場所でもあったのである。児童館紙幣でカブトムシを買った子どもは次には採りに行きく仲間になっていた。子どもの文化の伝承は里山と切り離せないものがある。
(2回目)
前回ダム問題から自然保護運動は始まったと言ったが、このときは産業用の電力需要が 大きな部分を占めていた。昭和30年代に始まるダム建設ラッシュは黒部ダムの完成で最高潮に達した。鉄鋼業・化学工業・石油化学工業・電機産業・自動車産業などの発展が電力需要を押し上げ、昭和40年代に入ると石油運搬の高速巨大タンカーの登場は石油備蓄基地や港湾施設の拡充を促進し、日本が先端を行く技術力を持つ化学・石油化学・自動車などの産業が発展していった。この間電力の供給は水力発電から火力発電に切り替わりエネルギーの大量供給が出来るようになった。GNPは世界2位となりいろいろな製品が我々の生活水準を向上させた。サービス産業・流通・運輸・金融などの産業は血液や潤滑油の役目を果たし、全て右肩上がりの成長がじわじわとエネルギー供給の増大とそれに比例するように公害問題が発生していった。石油からの火力発電も公害問題で一時発電量が少なくなったが、イオウ酸化物・チッソ酸化物の除去技術が確立すると復活した。それと前後して新しいエネルギー政策が取りいれられ、よりクリーンな天然ガスと原子力のように大きな出力が得られる施設が台頭した。水力や火力にとって替わったこれらの施設も大きく自然環境を破壊してきた。1997年に日本で温暖化防止の国際会議が開かれた事は記憶に新しい。この会議の成果である京都議定書に日本は2008年から2012年の平均排出量を1990年より下記だけ削減しなければならない。ところが2005年で既に1990年比+7.8%増えているのである。ちなみにEUの目標は8%削減・アメリカは7%削減・・・但し批准していない。
今盛んに言われているのが排出権取引である。政府は温暖化防止のため、国際的にもエネルギー政策を持続可能なエネルギーに転換していく事を公表し、目標実現へプロジェクトを組んでいく事が大切だと考える。
また国民投票に関する法律も出来た事だし、政府が民から意見を出してもらい、少し強制力を持った施策を実施してもらいたいと思っている。ただ今までの努力、例えばクールミズ・ワームミズ、我が家の環境大臣、省エネルギー機器への買い替え、ゴミの分別収集、マイバッグ、牛乳パック、ペットボトルの回収などは続けるべきだ。ただこれらは量の問題の解決でこれからは生活の質やシステム・習慣の転換が重要だ。
なぜなら私たちが今使っている化石エネルギーの埋蔵量は右記の通りであ。
まだまだ油田や天然ガスは発見されるであろうが、採掘するにはかなりの投下資本
がかかるであろう。その時には植物から取れるエネルギー資源に取って代わるかもかも知れない。
さて我々は自給率の事も考えながら、何ができるか考えなければならない。環境省は生活について京都議定書発効前後にいろいろな指針を出してエネルギーの無駄遣いをなくすように呼びかけたが削減目標で削減義務はない。活動は2~3年盛り上がり、その後は下火の状態が続き問題意識を持ったわずな人に受け継がれているに過ぎない。今の生活は誰もが維持したいと願う。それと同時に環境保護も両立させようとすれば我々はどうしなければならないのであろうか。先ほどのシステムや質や習慣への転換は、例えば酒は酒屋で量り売りにするとか、車に乗っていた人が電車に乗る。
または自転車や単車に乗り換えるなど。 また核家族でなく3世代同じ住宅に住むというような転換である。
これらの転換で容易なのは政府が統制している物品である。酒は有望である。車はガソリンや軽油にかかる税金に環境税をプラスする。
強制的な転換であるが、これくらいしないと排出権取引の金額は出てこないであろう。またこの環境税で自然エネルギーへの財源が創出されると考える。現在補助金がなくなった個人の太陽光発電や太陽熱温水器などの設置に補助金がまわされるべきであろう。
私はここで提案したいのだが自然環境保全協会はダム問題をかかげてひさしい。現在近畿のダムは防災上・治水・農業用水・工業用水・新しく住宅開発があったところでは利水などさまざまな名目でダムを作ろうとしている。淀川からはかなりの自治体が取水しているが、夏の渇水期に独自の水源が必要だと考える自治体も多い。民需がダム建設の要件の一つになっている。(但し協会の佐川克弘氏に言わせればまったくその必要はない。氏の淀川流域委員会への提言を参考にされたい)
自然保護団体が別の角度からできる自然保護は雨水の利用ではあるまいか。山の中に大きなダムを建設することは自然環境の大きな破壊です。私たちが今利用している水もどこかのダムの水を多少含んでいると考えられます。だから出来るだけ水を粗末に使わないようにするのも大切なことです。水をふんだんに使うようになったのは私たちの生活でまず銭湯から家庭風呂に変わってきたことが上げられる。銭湯ではせいぜい一人当たり20リットルしか使わないものが一家庭で200リットル(4人家族として一人当たり50リットル)水洗トイレや下水道の普及で(大便6リットル・小便4リットル*6で一日30リットル使用)昔に比べ一人当たり合計で60リットルは増加しています。おまけに朝シャンとか言って10リットルぐらい余計に使う。1万人が一ヶ月で使う量は18000キロリットルです。一万世帯(4人家族として)72000リットル。これは縦40m*横40m*深さ45mの枡一杯分です。堺市では年間雨量が約1200mmで、単純に12で割ると月に100mmの雨です。一戸建ての住宅の屋根の面積を60㎡とすると60*0.1で6立方メートルすなわち6キロリットルです。但し取水ロスや浸み込みロスを入れると約90%の有効として約5.4キロリットルが集められ1万世帯(一世帯4人家族)で54000キロリットルです。凡そ増加分の75%まで賄えます。都会の各家に雨水利用の小さなダムを作る事が山間部の環境破壊の大きなダム建設を止められます。次回は雨水利用の方法についてです。
堺に大きな児童館ができた。大阪市内に7箇所あった児童館をまとめたものであるあらしい。7箇所の児童館は閉鎖された。私はこの児童館のボランティアを少し経験した。経験したというと活動しましたといった感じになるのであろうが実際は遊んでいたといったほうが正しい。阿倍野・東淀川・小田町・松の児童館へ時々行ってみたが中でも阿倍野が一番多く行った。ここは幼稚園と併設になっていて入り口が別々に設けてあり、児童館が2階・幼稚園が1階にある。施設は体育室(バスケットのコート半分ぐらいの大きさ)・図書室・工作室がある。これらの施設の収容人員は50人ぐらいであろうか、阿倍野に行った時に最高で50人ぐらいだったような気がする。子どもたちは幼稚園から高校生まで登録でき、登録すると4月から翌年3月まで一年間この館を利用できる。また無料である。体育室には卓球台・トランポリン・体操用マットがあり、ここでよく子どもたちと卓球をしたものだ。図書室は棚が2段の低い書架があり、廊下から子どもたちが何をしているのか見られるようになっている。机や椅子は無く、寝そべって読む子や、座って読む子などさまざまな読み方で本を楽しんでいた。本は寄付と図書館の要らなくなった本や、更新時の破棄処分の本が使われていた。工作室は工作台が3台あり、その頃ゲイラカイトがはやっていたので材料代だけとって子どもたちに正月前に作らしていた。また足踏み式の糸鋸機もあり、動物バッチを作るのに薄いベニヤなど切っていた。将棋や碁なども貸し出していたがあまりやる子はいなかった。この工作室ではそのほかに紙ヒコーキや折り紙などしていた。児童館は子どもに遊び場を提供していたといえる。児童館の職員は遊びの提供者で毎週月曜日から土曜日まで曜日によって提供する遊びを変えていたのと季節ごとの子どもの遊びを取り入れていた。工作は廃材など利用して作るものが多かった。例えば牛乳パックであり、ペットボトルであり、かまぼこ板であり、糸巻きである。しかしだいぶ前から糸巻き工作やかまぼこ板の工作は少なくなってきている。けん玉はけん玉大会を開き、主に小学校高学年の子どもが「もしかめ」の練習に明け暮れていた。オセロも大会を開き、競い合った。しかし時々ゲームボーイを隅っこのほうでやる子もいたが、少数であった。今から30年近く前のことである。
さてこの児童館の最大の行事が8月にある夜店ごっこだ。神社やお寺で催される夜店と同じようにいろいろの店を出す。それも企画は児童館から出すがその担い手はすべて子どもたちだ。あて物(紐をひくとおもちゃなどが当たる)、輪投げ、射撃(輪ゴムの鉄砲で置物を倒す)スーパーボールすくい、ようよう、氷かき、綿菓子、たこやきそしてかぶとむし売りがあった。氷や綿菓子やようようは機械をあらかじめ業者から借りていた。そのほかは全部手作りで、カブトムシは児童館職員や私のようなボランティアが大阪府内の里山に出かけていって採った。たいがい滝畑ダムのほうへ行くことが多く、阿倍野児童館を小学校高学年と中学生とともに5時ごろに出発し、約2時間かけて現地に到着した。そこでテントを張り、簡単な食事を済ませ、カブトムシの餌になる黒酢と黒砂糖を混ぜた液を作り9時ごろから懐中電灯便りにクヌギやコナラの林に入っていくのである。ここには炭焼き釜は無いが、薪として使っていたのでかなり林として残っていた。当時シイタケ栽培が盛んであったのでホダ木に使っていた。木に汁を刷毛で一本ずつ塗っていくのである。約30本塗って朝を待つのである。夜懐中電灯の光に蛾の仲間がよく来た。またゴマダラカミキリなどかみきり虫類とコクワガタも来た。テントに帰るとのどがむちゃくちゃ渇いているのがわかり、すごく水を飲んだのをよく覚えている。こうして朝の4時頃まで寝るのである。蜂に刺されないようにほっかむりと軍手、長袖を着て補虫網片手に4時30分頃から昨日塗った木を一本一本見て回るのである。カブトムシのオスがいようものならワーワー子どもたちが声を出し、我先に採りたがるのを制して、まず静かにさせる。その上でスズメバチの危険がないか点検し、それから採るのである。カブトムシは人間に見つけられてもすぐに逃げることは無い。網をかぶして素早く引きずるように採るのである。何も来ていない木は足で木を蹴飛ばしその振動で落ちてくるカブトムシを採った。何本かに一本はこんな感じで取れる時もある。こうして多い時で10数個採った。帰りはシイタケのホダ木の古い木をおじさんに分けてもらった。私や子どもたちにとっての里山はカブトムシのいる場所であり、夏の夜店ごっこの目玉商品を取りに行く場所でもあったのである。児童館紙幣でカブトムシを買った子どもは次には採りに行きく仲間になっていた。子どもの文化の伝承は里山と切り離せないものがある。
(2回目)
前回ダム問題から自然保護運動は始まったと言ったが、このときは産業用の電力需要が 大きな部分を占めていた。昭和30年代に始まるダム建設ラッシュは黒部ダムの完成で最高潮に達した。鉄鋼業・化学工業・石油化学工業・電機産業・自動車産業などの発展が電力需要を押し上げ、昭和40年代に入ると石油運搬の高速巨大タンカーの登場は石油備蓄基地や港湾施設の拡充を促進し、日本が先端を行く技術力を持つ化学・石油化学・自動車などの産業が発展していった。この間電力の供給は水力発電から火力発電に切り替わりエネルギーの大量供給が出来るようになった。GNPは世界2位となりいろいろな製品が我々の生活水準を向上させた。サービス産業・流通・運輸・金融などの産業は血液や潤滑油の役目を果たし、全て右肩上がりの成長がじわじわとエネルギー供給の増大とそれに比例するように公害問題が発生していった。石油からの火力発電も公害問題で一時発電量が少なくなったが、イオウ酸化物・チッソ酸化物の除去技術が確立すると復活した。それと前後して新しいエネルギー政策が取りいれられ、よりクリーンな天然ガスと原子力のように大きな出力が得られる施設が台頭した。水力や火力にとって替わったこれらの施設も大きく自然環境を破壊してきた。1997年に日本で温暖化防止の国際会議が開かれた事は記憶に新しい。この会議の成果である京都議定書に日本は2008年から2012年の平均排出量を1990年より下記だけ削減しなければならない。ところが2005年で既に1990年比+7.8%増えているのである。ちなみにEUの目標は8%削減・アメリカは7%削減・・・但し批准していない。
今盛んに言われているのが排出権取引である。政府は温暖化防止のため、国際的にもエネルギー政策を持続可能なエネルギーに転換していく事を公表し、目標実現へプロジェクトを組んでいく事が大切だと考える。
また国民投票に関する法律も出来た事だし、政府が民から意見を出してもらい、少し強制力を持った施策を実施してもらいたいと思っている。ただ今までの努力、例えばクールミズ・ワームミズ、我が家の環境大臣、省エネルギー機器への買い替え、ゴミの分別収集、マイバッグ、牛乳パック、ペットボトルの回収などは続けるべきだ。ただこれらは量の問題の解決でこれからは生活の質やシステム・習慣の転換が重要だ。
なぜなら私たちが今使っている化石エネルギーの埋蔵量は右記の通りであ。
まだまだ油田や天然ガスは発見されるであろうが、採掘するにはかなりの投下資本
がかかるであろう。その時には植物から取れるエネルギー資源に取って代わるかもかも知れない。
さて我々は自給率の事も考えながら、何ができるか考えなければならない。環境省は生活について京都議定書発効前後にいろいろな指針を出してエネルギーの無駄遣いをなくすように呼びかけたが削減目標で削減義務はない。活動は2~3年盛り上がり、その後は下火の状態が続き問題意識を持ったわずな人に受け継がれているに過ぎない。今の生活は誰もが維持したいと願う。それと同時に環境保護も両立させようとすれば我々はどうしなければならないのであろうか。先ほどのシステムや質や習慣への転換は、例えば酒は酒屋で量り売りにするとか、車に乗っていた人が電車に乗る。
または自転車や単車に乗り換えるなど。 また核家族でなく3世代同じ住宅に住むというような転換である。
これらの転換で容易なのは政府が統制している物品である。酒は有望である。車はガソリンや軽油にかかる税金に環境税をプラスする。
強制的な転換であるが、これくらいしないと排出権取引の金額は出てこないであろう。またこの環境税で自然エネルギーへの財源が創出されると考える。現在補助金がなくなった個人の太陽光発電や太陽熱温水器などの設置に補助金がまわされるべきであろう。
私はここで提案したいのだが自然環境保全協会はダム問題をかかげてひさしい。現在近畿のダムは防災上・治水・農業用水・工業用水・新しく住宅開発があったところでは利水などさまざまな名目でダムを作ろうとしている。淀川からはかなりの自治体が取水しているが、夏の渇水期に独自の水源が必要だと考える自治体も多い。民需がダム建設の要件の一つになっている。(但し協会の佐川克弘氏に言わせればまったくその必要はない。氏の淀川流域委員会への提言を参考にされたい)
自然保護団体が別の角度からできる自然保護は雨水の利用ではあるまいか。山の中に大きなダムを建設することは自然環境の大きな破壊です。私たちが今利用している水もどこかのダムの水を多少含んでいると考えられます。だから出来るだけ水を粗末に使わないようにするのも大切なことです。水をふんだんに使うようになったのは私たちの生活でまず銭湯から家庭風呂に変わってきたことが上げられる。銭湯ではせいぜい一人当たり20リットルしか使わないものが一家庭で200リットル(4人家族として一人当たり50リットル)水洗トイレや下水道の普及で(大便6リットル・小便4リットル*6で一日30リットル使用)昔に比べ一人当たり合計で60リットルは増加しています。おまけに朝シャンとか言って10リットルぐらい余計に使う。1万人が一ヶ月で使う量は18000キロリットルです。一万世帯(4人家族として)72000リットル。これは縦40m*横40m*深さ45mの枡一杯分です。堺市では年間雨量が約1200mmで、単純に12で割ると月に100mmの雨です。一戸建ての住宅の屋根の面積を60㎡とすると60*0.1で6立方メートルすなわち6キロリットルです。但し取水ロスや浸み込みロスを入れると約90%の有効として約5.4キロリットルが集められ1万世帯(一世帯4人家族)で54000キロリットルです。凡そ増加分の75%まで賄えます。都会の各家に雨水利用の小さなダムを作る事が山間部の環境破壊の大きなダム建設を止められます。次回は雨水利用の方法についてです。