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瑞牆山登山3終わり

2023年04月30日

頂上で景色に見とれていると若い男女の登山者が登ってきた。頂上についたこと大いに喜んでいる。写真を撮ってあげたりしていたら時間がかなり押してきた。11時45分下山開始である。バスは14時25分出発だから2時間40分で瑞牆山荘まで降りなければならない。地図に載っているコースタイムは休みなしで2時間10分であるが私の年齢ではコースタイムが1時間なら約1時間15分はかかる。ということはほぼギリギリで時間の余裕は全くない。鹿や頂上で時間を食ってしまった。桃太郎岩13時07分到着約6分遅れ、富士見平小屋到着13時39分到着約2分遅れ、桃太郎岩からは少し小走りに歩いた。富士見平小屋からはもう一つペースを上げた。瑞牆山荘についたのは14時18分でバスの出発の7 分前だった。瑞牆山荘で登山記念に瑞牆山のバッチを買った。山荘の主人八巻氏は遅いので心配になったという。ここから本来なら増富ラジウム泉に寄って登山の汗を拭うつもりでいたが、ここは4月1日から長期の休業に入るという。北杜市の営業だが市が屋根の修理の予算を組んでいない為、いつ再開するかの目処が立っていなという。私は直前で予定を変えて途中にあるハイジの村によることにした。瑞牆山荘からやく1時間でついた。山梨峡北交通バスは1回だけ途中下車を認めているのでバス代が余分にかかることはない。ハイジの村でしたかったことはいちご狩りで受付で申し込むと予約制になっていて今日の分は終了したという。仕方ないのでピッザの遅い昼食を食べ、フラワーガーデンやバラ園を見て回った。春休みで子供を連れた家族づれが多かった。韮崎から小淵沢経由で塩尻に出て特急しなのに乗り、新幹線で大阪に戻った。

P4050389ハイジの村から見た富士山

P4050394ハイジの村

P4050404ハイジの村

P4050399チュウリップは色とりどりに

P4050397地下のバラ園を見る

/Users/riceway/Desktop//Users/riceway/Desktop/名称未設定フォルダ 4/P4ワークショップも開催されていた

P4050402色とりどりのアセビ類



瑞牆山登山2

2023年04月30日

5日5時30分起床6時朝食45分に水垣荘を出発した。昨日山岳装備の本を熱心に読んでいたせいで、いつもは夜のうちに朝すぐ出られるように準備しとくのだが、今回は朝になって準備していたため、出発が15分遅れた。ミズナラの純林地帯を20分登ると後ろから男女2名の登山者が後を追ってきた。登山道がじくざくになる手前で女性が鹿を見つけた。ほんのわずかの距離のところに2頭の鹿が現れた。全く逃げる気配がなくこっちを見ている。私はカメラを取り出し2頭の写真を撮った。木々が邪魔していいアングルが得られないのでさらに良いアングルを求めてアングルを求めて左右に動いた。2名の登山者は私を追い越して行った。満足がいく写真が撮れたので、少し急いだ。富士見平山荘についたのは7時45分店と場には2張りのテントがあった。シジュウカラ・ヤマガラの声がやかましい。去年の10月28日にこの小屋に泊まった時と同じだ。汗がジワーと出てきたので長袖シャツを脱いだ。8時42分桃太郎岩着。大きな岩が真ん中あたりで二つに割れているのを捉えて桃太郎岩と名付けたのだろう。ここから急な上りになる等高線もの間隔も狭い。残雪も所々にあるがアイゼンをつけるほどでない。小川山への分岐で3人の登山者に追い越された。石楠花が多い。芝犬を連れた下山者1名。山の北面は雪渓があってカチカチに凍っているという。今は何面お登山だ。カケスの声・ミゾサザエの美しい声、11時弘法岩(黒松分岐)着。ここでアイゼンをつける。予定より30分遅れている。11時25分瑞牆山(2230,2m) 山頂到着。超時雨は大きな岩の上でここから赤岳(東)・金峰山(北西)・甲斐駒ヶ岳(北東)そして薄く富士山が見えた。頂上で景色を堪能した。

P4050336まじかに鹿が現れる

P4050339鹿二頭奥に一頭

P4050343瑞牆山の岩峰

P4050348富士見平小屋 去年宿泊した

P4050354桃太郎岩真ん中から二つに割れる

P4050358弘法岩(黒松分岐)

P4050375瑞牆山頂上



瑞牆山登山1

2023年04月23日

昨年10月28日から金峰山・甲武信岳縦走をしたときに瑞牆山というのがあるのを知っていた。体力があれば3泊4日の中に入れられただろう。おそらく30年前だったら一度に百名山の3つを完登していたはずだ。富士見平小屋までの途中にこの山の岩峰が鮮やかに見えたのを思い出す。瑞牆山を人に説明するときにこの字が難しくあまりうまく伝えられない。深田久弥の百名山によると地元の村では瘤岩(瘤岩)と呼んでいたそうだ。彼の推理によると三つの山陵が集まるところをみつなぎと呼ばれ、それが聞き誤れて瑞垣という風流な名前になったのではないかと勝手に憶測している。

いつも通り名古屋まで新幹線で行き、中央本線で塩尻、韮崎と乗り継ぐ、去年は韮崎駅についてたった3分の乗り換え時間で、山梨峡北交通のバスに乗り込まねばならなかったが今年から8分の乗り換え時間になった。韮崎駅を降りると東側に大きく富士山が見える。去年は全く気づかなかった。2番乗り場からバスは出て、1時間20分で終点のみずがき山荘に着く。ここにくるまでの途中に増富ラジウム温泉があるが施設の修理のため4月1日から休業している。帰りにここで汗を流そうと思っていたのに残念である。バスは65歳以上の老人は1割引で乗車でき、2100円が1900円で済む。瑞牆山荘に到着し、簡単に昼食を済ませ、登山口から少し奥へ歩いてみた。ここはミズナラの純林があり、今は葉を落として見通しがよくきく。どんぐりはほとんどないが殻斗だけがいっぱい落ちていた。3時を回ったので瑞牆山荘に入る。今日の泊り客は私一人とのことだった。206号室に案内される。8畳の間で石油ストーブが置かれていた。朝晩は10度以下になるとのこと。食事の時間まで2時間以上あるので山と渓谷社の登山装備大膳を読む。最近の装備は軽くなっているものが多い。それぞれの分野で一流品と呼ばれるものの紹介と優れている面が描かれていた。私も装備にはいいものを持つようにしているが、いいものは海外のメーカーが日本のより優れているものが多い。

P4040313韮崎駅から見た富士山

P4040315バス時刻表

P4040319増富ラジウム温泉の休業案内

P4040323瑞牆山荘の206号室 ゆったりしている

P4040325ミズナラの純林と標識


黒壁スクウェアのあたりは古建築の中にいろいろな商店が入り盛況を呈している。大手門通りにあるまちづくり役場は種々のイベントの紹介をし・、観光ガイドも受け入れている。すぐそばの堅ボーロ本舗は宮内庁御用達の店で安倍元首相もおとづれている。この商店街のアーケードの天井が異常に高い。それは曳山が通るためで約9mの高さがある。豊国神社のそばにある信号機も曳山を通すために90度回転する。長浜曳山文化など33の「山・鉾・屋台行事」は平成28年12月にユネスコ無形文化遺産に登録された。毎年4月9日から17日にかけて長浜八幡宮の例大祭「長浜曳山祭」が行われます。

ここから「曳山文化ガイドブックより引用する」

この祭りは「日本三大山車祭り」のひとつに数えられています。動く美術館とも言われる豪華絢爛な曳山と5歳から12歳ぐらいまでの男の子が美しい衣装に身を包んで演じる子供歌舞伎(狂言)が大きな魅力です。日本各地の祭りに登場する山車(山・鉾・屋台)呼び方も型もさまざまです。その数は数千に及ぶといわれ、本来の山車とは祭りの場に神様を招き寄せるための依代(神や霊が乗り移るもの)の一種で神様が天から降臨するときに、目印になるようにつけられた飾り物を「出し」と呼んでいたことに由来すると考えられています。33の祭りをそれぞれ3つのタイプに分けました。

グループ1 かざり山 提灯や造花、工夫を凝らした人形などを飾りつけた山車

代表的なのは 京都祇園祭の山鉾巡行など23件

グループ2 からくり山 仕掛けによって動く『からくり人形」を載せた山車。囃子の演奏に合わせてからくり人形を操作し、披露、奉納します。高山祭の屋台行事など6件

グループ3 芸山(芸屋台)台車の上に舞台が備えられた山車。舞台の上で子供歌舞伎や狂言などの芸能が行われます。長浜曳山祭のなど4件

毎年4月長浜八幡宮の春祭りに行われる行事です。13基ある曳山のうち舞台のついた12期の曳山が毎年4基づつ交代で引き出され、市内を巡航します。舞台の上では5歳から12歳ぐらいまでの男子によって「子供狂言(歌舞伎)」が演じられ、祭1番の見どころです。

P2250104長浜の商店街 天井が高い 山車の通行のため

P2250105曳山博物館

P1181711曳山の舞台

P2250109曳山の模型

P2250112曳山の側面に飾られた緞帳 南蛮貿易の頃

P2250110曳山の舞台

P1181710ビデオで詳しく祭の紹介







長浜街歩き6

2023年03月21日

慶雲館から踏切を渡って山側に行ったところで昼食を取り、駅そばの秀吉公と石田三成公出逢いの像の説明を見る。長浜城主の羽柴秀吉公は、鷹狩りの途中に法華寺に立ち寄りました。汗をかいた様子の秀吉公を見た寺の小姓・佐吉少年は、大きな茶碗にぬるいお茶を並々と持ってきました。。秀吉公がもう一杯頼むと、佐吉は先ほどよりも少し熱いお茶を茶碗半分ほど差し出しました。そこでさらに一杯所望したところ、今度は小さい茶碗に熱いお茶を入れて出してきました。秀吉は茶の入れ方一つにも気を配る佐吉を気に入り、召し抱えました。少年はのちの石田三成公で、この出会いは「三献の茶」として語り継がれています。ここから豊国神社(ほうこく)によりさらに黒壁スクウェアに行く。黒壁スクウェアの誕生は「黒壁銀行の愛称で親しまれてきた旧百三十銀行(1899年)竣工の取り壊しの危機に際し、旧市街の古建築との保存と再生のための博物館都市構想を掲げた第三セクター(長浜市と地元民間企業8 社が出資)「黒壁」が1988年に設立された。再生は銀行を1989年に黒壁一号館「黒壁ガラス館」としてオープンし、さらに一号館周辺の古建築を次々と美術館、ガラスショップ、工房、ギャラリー、カフェ、レストランと再生し、30の古建築を再生させた。1991年に新快速が長浜駅まで延伸し、観光客が増え続け、2000年から2017年まで滋賀県の観光客の訪れが1位だった。近年近江八幡市に首位の座を奪われたが、年間200万人前後の観光客で賑わい、まちづくりの成功事例として日本各地からの視察も多い。

P1181701羽柴秀吉・石田三成出逢いの像

P1181702豊国神社

P1181703豊国神社のお守り 瓢箪をかたどったものが多い

P1181707黒壁の古建築を再生したお店

P1181709黒壁オルゴール館


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