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大阪城のお堀や大阪城の砲兵工廠あと大阪城の巨石を見てきました。当時砲兵工廠はアジア最大の兵器工場で64000人が働いていました。1945年8月14日終戦の一日前にB−29爆撃機150機の来襲を受け、非常に多くの死者を出しました。今の大阪城は1620年から1629年の間に作られたもので、徳川秀忠により再建されたものです。又今の天守閣は昭和6年関一市長のとき市民に寄付を募り150万円集めて再建されたもんです。巨石は桜門、大手門、京橋門に集中している。岡山藩主池田忠雄、熊本藩主加藤忠弘が運んだものが上位10位までを占める。金蔵は畿内や天領からの収入を入れた。金額にして500億とも800億とも言われる。


石垣修復箇所が見える

砲兵工廠の建物 終戦後科学分析所として使われる

紀州藩が作った日本庭園此処からの大阪城の景色が良い

金蔵榎本武揚が函館で塀を挙げたとき此処から金をぶんどったとか