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黒壁スクウェアのあたりは古建築の中にいろいろな商店が入り盛況を呈している。大手門通りにあるまちづくり役場は種々のイベントの紹介をし・、観光ガイドも受け入れている。すぐそばの堅ボーロ本舗は宮内庁御用達の店で安倍元首相もおとづれている。この商店街のアーケードの天井が異常に高い。それは曳山が通るためで約9mの高さがある。豊国神社のそばにある信号機も曳山を通すために90度回転する。長浜曳山文化など33の「山・鉾・屋台行事」は平成28年12月にユネスコ無形文化遺産に登録された。毎年4月9日から17日にかけて長浜八幡宮の例大祭「長浜曳山祭」が行われます。

ここから「曳山文化ガイドブックより引用する」

この祭りは「日本三大山車祭り」のひとつに数えられています。動く美術館とも言われる豪華絢爛な曳山と5歳から12歳ぐらいまでの男の子が美しい衣装に身を包んで演じる子供歌舞伎(狂言)が大きな魅力です。日本各地の祭りに登場する山車(山・鉾・屋台)呼び方も型もさまざまです。その数は数千に及ぶといわれ、本来の山車とは祭りの場に神様を招き寄せるための依代(神や霊が乗り移るもの)の一種で神様が天から降臨するときに、目印になるようにつけられた飾り物を「出し」と呼んでいたことに由来すると考えられています。33の祭りをそれぞれ3つのタイプに分けました。

グループ1 かざり山 提灯や造花、工夫を凝らした人形などを飾りつけた山車

代表的なのは 京都祇園祭の山鉾巡行など23件

グループ2 からくり山 仕掛けによって動く『からくり人形」を載せた山車。囃子の演奏に合わせてからくり人形を操作し、披露、奉納します。高山祭の屋台行事など6件

グループ3 芸山(芸屋台)台車の上に舞台が備えられた山車。舞台の上で子供歌舞伎や狂言などの芸能が行われます。長浜曳山祭のなど4件

毎年4月長浜八幡宮の春祭りに行われる行事です。13基ある曳山のうち舞台のついた12期の曳山が毎年4基づつ交代で引き出され、市内を巡航します。舞台の上では5歳から12歳ぐらいまでの男子によって「子供狂言(歌舞伎)」が演じられ、祭1番の見どころです。

P2250104長浜の商店街 天井が高い 山車の通行のため

P2250105曳山博物館

P1181711曳山の舞台

P2250109曳山の模型

P2250112曳山の側面に飾られた緞帳 南蛮貿易の頃

P2250110曳山の舞台

P1181710ビデオで詳しく祭の紹介







長浜街歩き6

2023年03月21日

慶雲館から踏切を渡って山側に行ったところで昼食を取り、駅そばの秀吉公と石田三成公出逢いの像の説明を見る。長浜城主の羽柴秀吉公は、鷹狩りの途中に法華寺に立ち寄りました。汗をかいた様子の秀吉公を見た寺の小姓・佐吉少年は、大きな茶碗にぬるいお茶を並々と持ってきました。。秀吉公がもう一杯頼むと、佐吉は先ほどよりも少し熱いお茶を茶碗半分ほど差し出しました。そこでさらに一杯所望したところ、今度は小さい茶碗に熱いお茶を入れて出してきました。秀吉は茶の入れ方一つにも気を配る佐吉を気に入り、召し抱えました。少年はのちの石田三成公で、この出会いは「三献の茶」として語り継がれています。ここから豊国神社(ほうこく)によりさらに黒壁スクウェアに行く。黒壁スクウェアの誕生は「黒壁銀行の愛称で親しまれてきた旧百三十銀行(1899年)竣工の取り壊しの危機に際し、旧市街の古建築との保存と再生のための博物館都市構想を掲げた第三セクター(長浜市と地元民間企業8 社が出資)「黒壁」が1988年に設立された。再生は銀行を1989年に黒壁一号館「黒壁ガラス館」としてオープンし、さらに一号館周辺の古建築を次々と美術館、ガラスショップ、工房、ギャラリー、カフェ、レストランと再生し、30の古建築を再生させた。1991年に新快速が長浜駅まで延伸し、観光客が増え続け、2000年から2017年まで滋賀県の観光客の訪れが1位だった。近年近江八幡市に首位の座を奪われたが、年間200万人前後の観光客で賑わい、まちづくりの成功事例として日本各地からの視察も多い。

P1181701羽柴秀吉・石田三成出逢いの像

P1181702豊国神社

P1181703豊国神社のお守り 瓢箪をかたどったものが多い

P1181707黒壁の古建築を再生したお店

P1181709黒壁オルゴール館


長浜街歩き5

2023年03月19日

長浜鉄道スクウェアを出ると伊吹山が美しく見えました。また長浜城からの帰りに見落としていたドイツのディーゼル氏とヤンマーの創始者山岡孫吉翁の話を少しします。長浜市とドイツ・アウスブルグ市は1959年4月に姉妹都市提携を結びました。ヤンマー株式会社の創業者山岡孫吉翁は、1888年高槻町東阿閉に生まれました。孫吉翁は多くの困難に打ち克ち、世界で初めてディーゼルエンジンの小型化に成功し、農用・舶用・産業用などあらゆる分野の原動力としてその普及に力を尽くしました。常々ディーゼルエンジンの発明者ルドルフ・ディーゼル博士に感謝の心を抱いていた孫吉翁は1957年10月博士を顕彰するディーゼル記念石庭袁の寄贈は、アウスブルグ市民の大きな賞賛となり、両市の姉妹都市提携の架け橋となりました。・・・

中略・・・私たちは、姉妹都市提携50周年を記念してアウスブルグ市から贈呈された市の紋章である「松ぼっくり」を楊した記念碑を建立し、山岡孫吉翁とディーゼル博士をここに顕彰します。の碑文があった。なおこの長浜にはヤンマーの研究所兼ヤンマーミュージアムがある。さて鉄道スクウェアのすぐ前が盆梅展会場である。盆梅展は慶雲館で昭和27年から開催されている。昭和26年に浅井町高山の高山七郎氏が当時の寺本太十郎長浜市長に請われて盆梅40鉢を市に寄贈したのが始まりです。慶雲館は明治19年の秋に明治天皇皇后両陛下が京都行幸に大津から船を利用し長浜に上陸されるとの報が入り、長浜に上陸されてから鉄道に乗り換える時間に滞留するために適当な場所がなかったことから当時太湖汽船頭取の浅見又蔵氏は早速私財を投じ、天皇陛下の誕生日である11月13日に着工、行幸当日の明治20年2月21日朝に完成するという慌ただしさでした。両陛下は13時前に到着し、13時45分の列車で名古屋に向かわれたそうです。慶雲館の敷地は6000m2 建物は尾張産の総檜造りの寄棟。2階建てで約500m2

盆梅展会場には瀬戸内寂聴さんの俳句がありました。

P1181698長浜港の碑 慶雲館のそばにある

P1181685慶雲館御入り口

P1181689浅見又蔵と高山七郎

P1181688瀬戸内寂聴さんの句

P1181692慶雲館の庭

P1181690盆梅



長浜街歩き4

2023年03月18日

長浜鉄道スクウェアは長浜鉄道文化館と北陸線電化記念館も併設されている。文化館は鉄道連絡船に関する資料や北陸線を走った模型車両を展示している。明治15年(1882)5月太湖汽船会社は長浜から大津間に日本で初めての鉄道連絡船の運行を始めました。鉄道ができるまでの代用としたのです。明治16年9月に2 隻の蒸気船は第1太湖丸・第2太湖丸は日本最初の鉄船で500トン、350人乗りで14ノット(時速26km)で快走しました。当時は帆と蒸気機関で走る船が多い時代でしたが、14ノットというのは大変な高速船でした。大津と長浜間を約3時間半でむすび、明治22年まで7年間運行されました。長浜は鉄道の街として発展し、駅付近には28軒の旅人宿が軒を連ね、運送店は15店、飛脚業は4軒、人力車は72両を数えました。文化館の入り口は新幹線に関するクイズがあり、新幹線の開業から現在の新幹線のスピードなどのその時々の画期的な事柄を楽しく学べます。パネル展示では最近の快速電車や数々の特急電車の写真が飾られています。北陸線電化記念館には実際に使われていた蒸気機関車と電気機関車2台が陳列され、その質量の大きさに圧倒されます。ともに運転台が開放され蒸気機関車の運転席周りの複雑な構造は、これを動かすのにはかなりの訓練が必要な気がしました。それに比べると電気機関車の運転席はシンプルでした。

D51形793号蒸気機関車の説明から

D51形793号蒸気機関車はダイナミックな勇姿から”デゴイチ”の愛称で広く親しまれ、1115両も製造されました。このD51形793号機は1942年(昭和17年)11月18日に三菱重工業(株)で製造され、東北・東海道・中央・北陸の各線を、1970(昭和45)年まで27年余り走りました。その走行距離は1784000kmで地球を44周したことになります。

詳細 車軸配置 IDI(ミカド型) 最大長 19,7m 機関車重量 77,7t

炭水車重量 47,4t ボイラ圧力」15kg/cm立法 動輪直径 1400mm

最高速度 85km/h

P2250087長浜鉄道スクウェア

P1181665懐かしい特急列車

P1181673電気機関車 三菱重工業製

P1181680 2蒸気機関車 三菱重工業製

P1181676 運転席内部左側

P1181675運転席内部右側


長浜街歩き3

2023年03月05日

長浜城を後にして長浜鉄道スクウェアに向かう。今の駅舎の上に2本の煙突があるが、これは昔の長浜駅舎を真似たものだ。煙突の形をした建築物で暖炉の煙突ではない。スクウェアの入り口は3等乗客の待合室になっており、火鉢が置かれていた。1・2等乗客の待合室は別にあり、暖炉が置かれていた。そこにはマネキンがあり、男性は背広にマント、山高帽を被り、女性は日本髪を結い、着物姿であった。部屋の隅には太くて長い竿ばかりが置かれてあった。私はこの原理を知っている。いわゆるテコの原理で吊るすものの重さは竿ばかりを吊るす紐のところが支点となって分銅を右にずらしていって均衡を測る。これの使い方を知っている若い世代はいるのだろうか。続いて北陸線電化記念館に入る。まだ東海道線が開通する前に敦賀〜長浜間に鉄道が開通していた。これは明治17年(1884)のことだ。明治35年にシベリア鉄道が開通、明治45年にウラジオストック〜敦賀間の航路が開通、船と鉄道(欧亞国際列車)で東京〜パリ間が17日で行けたという。敦賀がヨーロッパに向けて開かれた窓のようなもので敦賀港が江戸時代北前船で栄えた後は国際港となって発展していったのである。少し話は飛ぶが「杉原千畝」という人を知っているだろうかナチスによって迫害されたユダヤ人を助けた外交官である。日本政府がビザを発給を許可しなかったにもかかわらず人道的立場から昭和15年ユダヤ難民2139人に日本通過ビザを発給した外交官である。これらの難民は主にシベリア鉄道を通って敦賀に来たそしてそこからインドネシア、オーストラリア、アメリカにわたっていった。イスラエル政府から「諸国民の中の正義の人」賞を昭和60年(1985)いただいている。1991年鈴木宗男外務政務次官が杉原千畝を高く評価し、名誉回復に努め、2000年に河野洋平外相が外務省の非礼を正式に認め、遺族に謝罪した。

P1181658当時の一等車の乗客の姿

P2250092手荷物柳こおり

P1181660棹ばかり かなり大きい

P1181664当時の時刻表