白浜のアドベンチャーワールド行きバスは平日にもかかわらず臨時便が出るほどお客さんが多かった。アドベンチャーワールドの入場券はシニア割引があり、私たちは4300円で入れた。まずはパンダだ。日本の飼育頭数はこのアドベンチャーワールドが最多で園内にパンダが見れる施設3箇所あった。入ってすぐのところは一匹のパンダが竹をむしゃむしゃ食べていた。そばに霧を出す装置があり、パンダの体を涼しくさせているのかよくわからなかったが、ただひたすらに竹を食べていた。次いでブリーディングセンターに入った。桃浜、楓浜、4頭のパンダが園内にいて寝そべったり、竹をむしゃむしゃ食べたり、うろついたりしていた。何をしていても絵になる動物である。パンダの飼育場の横はアフリカぞうが2頭ゆっくり歩いていた。アフリカゾウはケニアで私は最初に見たがインドゾウよりかなり大きく、肌の色がちょっと褐色が勝っているのが特徴だ。おばちゃんたちにも説明したがよくわかってなかったようだ。このあと馬(種類がわからない)が柵近くに来たのでお尻に近い部分をなぜさせてもらった。じっとしていて気持ちがいいのか、数人がかわるがわるなぜさせてもらっていた。おばちゃんたちもビビりながら触ってみて喜んでいた。このあとをケニア号に乗る。横一列に7人掛けできそうな座席で私たちの前には修学旅行生がキャーキャー言いながら動物たちをみていた。
アドベンチャーワールドで生まれたパンダ 4頭とも浜がついている
今年4月大菩薩嶺に登山したときに麓の雲峯荘に泊まった。この雲峰荘の露天風呂で知り合った静岡のMさんとTさんが関西に行ったときに関西を案内してほしいと言われた。また一緒に八ヶ岳の麓にある本沢温泉に行こうとも誘われた。2人とも秘湯が好きな人だ。月に一回ぐらいお温泉に行っているという。関西なら御在所岳の麓の湯の山温泉もいい。私はその他はあまり知らないので湯の山温泉を勧めた。9月になって電話がかかってきて白浜のパンダを見て川湯温泉に行く計画をしているという。日が決まったらまた電話するようにいった。10月初めに11月8・9・10で白浜・川湯温泉に行くという。ところで静岡から夜行バスに乗って大阪に朝につき、天王寺から快速電車で白浜に行くという。いわゆる青春18きっぷでくるのだ。それで大阪についてから天王寺の阪和線に乗るまで40分時間があるからいけると思う。という。電話が終わってから40分の間に阪和線の3番線乗り場に間に合うだろうかと考えた。地下鉄が梅田・天王寺間が17分乗り継ぎに梅田で5分・天王寺で8分で30分でギリギリだ。JRが大阪・天王寺間18分」乗り継ぎが大阪で8分天王寺で5分で31分こちらもギリギリだ。一本見逃しrたら阪和線の快速電車に乗れない。よく知っている人でも難しい。私は電話でくろしお1号に乗ることを勧めた。この特急料金はあまり高くない。2090円だ。バスが遅延しても40分の余裕があれば7時59分の天王寺発には十分間に合うだろう。おまけに白浜に着く時間が普通だと12時は回るだろう。くろしおは10時10分着だから十分サファリパークを楽しむことができる。電話で特急に乗ることを勧めた。納得したようで11月8日私は堺から日根野にくろしおが停車するのでそこで合流することにした。10月末にまた電話があったが、私は留守で女房が電話をとった。ナンジャかジャ言って最後にオタクのご主人お借りしますと言ったらしい。女房はどうぞどうぞと答えた。と私に話してくれた。78歳の大おばあちゃんと同じ歳くらいのおばあちゃんの案内役だ。どこが気に入られたかわからないがとにかく案内することになり、11月8日8時26分日根野でくろしおに乗った。乗ってから5分ほどしてMさんが私の座席のところまで来た。これから同道だ。あなたたち夜行できて疲れているだろうから1時間30分程休むことを勧めた。
甲武信岳小屋は夫婦2人で登山客のお世話をしていた。ここのトイレは別棟になっていたがトイレへはスリッパの履き替えだけでよく綺麗に整頓されていた。トイレで使うチリ紙は直接トイレの容器に捨てるのでなく箱に入れるようになっていた。また夜中トイレに行くと自動的に電気がついて安全だった。この小屋で私はビールを飲んだのだが山小屋で安全にトイレに行けるところでしかお酒を飲まないことにしている。人の話だが山小屋のトイレで怪我をする人があるという。夜薄暗い灯りで外にトイレがあるところは危険だ。
10月31日(月)5時30分起床ほとんどの人はもう起きていた。35分に朝食梅干しと味噌汁、豆の炊いたものという簡素なものだった。55分朝食を終えて朝日をビデオで取ろうとして小屋の背面の高台に登った。朝日を拝もうとする人はすでに木賊山に登っていった。山の端が赤く染まったが太陽は雲に遮られていた。6時40分すでに太陽が昇ってしまったため撮影を諦めて50分甲武信小屋を出発した。7時12分木賊山山頂、9時と10時に小休止をとった。途中猪のぬた場が2箇所もあった。石楠花が多い登山道だ。新道分岐を徳ちゃん新道にとる。この新道は平成4年から5年に作られた新道だ。11時西澤山荘着、この山荘は無人だ。11時30分西沢渓谷バス停についた。11時22分のバスに乗れなかったので13時10分のバスに乗ることになったが、朝のご来光が雲で撮影できなかったので早く諦めて下山しなければならなかったのに粘ってバス一台乗り遅れてしまった。仕方ないので昼食にする。非常食として持ってきていたサタケの携帯食品の炒飯を食べる。時間があったので西沢こんにゃく舘を見る。美味しそうな蒟蒻の試食があったので食べてみた。館内は土産物だけでなく食事施設もあってかなりお客さんが来ていた。私はこんにゃくより大きな砲弾の形をした渋柿に目が入った。普通の柿の倍くらいのサイズだ。美味しいのか聞くと甘くてとても美味しいという。それでザルに入った10個入りを買った。大変重い。ついでにカリンはサービスだから持っていけと言われる。それでカリンを2個だけいただいた。バス停に戻ると甲武信小屋で一緒になった女性にあった。そこでカリン一個と柿を一つあげた。帰りは塩山駅から塩尻に出て名古屋経由で帰った。
10月30日起床4時5分 クラッカーとベーコンの簡単な朝食、出発準備 朝お湯をもらうつもりでいたがなかなか主人がお湯を入れてくれないのでヤカンに触った途端すごく怒られてしまった。ヤカンには触れないでくれと言われていたのに触ったからだ。朝からちょっとむかっと来たがしょうがない。4時55分大弛小屋を出発。真っ暗でヘッドランプ頼りに登山道を歩き始めた。アイゼンがしっかりアイスバーンになった雪道を捉えていく。マイナス1度だ。5時55分小休止、6時35分国師岳富士山や八ヶ岳が見える。明るくなってきたのでヘッドランプをしまう。8時30分国師のタル9時32分東梓で小休止、ピッチは落ちている。アップダウンが多い。せっかく登ったのにまた同じぐらい降りてしまう。嫌な山だなと思いつつ、行くしかない。朝が早かったので11時30分昼食にする。国師のタルから2時間木の根が現れた登山道でアイゼンがよく引っかかった。もっと早く脱げばよかったのにと悔やまれた。昼食後にインスタントコーヒーを飲んだ。昼食後歩き始めてすぐに沖縄のざまみさんに抜かれた。13時49分甲武信岳(2475m)山頂着記念撮影をしついでにざまみさんの写真も撮らしてもらう。
山頂から降りたすぐのところに甲武信小屋があった。14時20分でここから西沢山荘まで4時間かかる。小屋で道を聞くと遅くなって危ないし、5時30分過ぎると真っ暗だよと、そしてこの山何回か来ているか聞かれた。初めてですというと、悪い事いわないから今日はここに泊まって行きなさいという。言われるままに甲武信岳小屋に泊まることにした。泊まり客は20人ほどいた。西澤渓谷から戸渡尾根を登り甲武信岳に来た人が大半で大弛小屋から甲武信岳へ縦走してきた人は4人ほどだった。甲武信岳は荒川の水源であり、筑摩川の水源でもあって分水嶺になっていた。小屋のすぐ上に碑がありそのように書かれていた。小屋は東向きに建てられていて一階部分が食堂とトイレで寝室は2階だった。ここでも一人おきに寝るようになっていた。夕食は5時からでカレーだった。昔は山小屋はカレーと決まっていたような時もあったが最近はカレーを出すところは少数派だ。夕食後ここでも談笑した。私のテーブルは群馬から来た夫婦と茨城からきた若い人だった。若い人は焼酎の良し悪しや日本酒の吟醸か吟醸でないかがすぐわかると言う味に関してのプロだった。私はあまり吟醸か大吟醸かは意識して飲んだことがない。ただ大吟醸が高いと言うことだけしか知らない。彼に言わせると高いからいいと言うのでなく、好みだという。私は巻機山に登った時民宿で出された「八海山」がおいしかったと言うと吟醸酒ですという。それから彼の各地のお酒の話になってずっと聞く側に回った。吟醸と大吟醸の違いは酒を作る時の精米の度合いだという。より精米されて純な味になるという。
金峰山から朝日岳への道は稜線で雪がところどころに残って凍っていた。朝日岳への登りは滑りやすかった。下りは岩がゴツゴツとあり、腰を打ったせいでかなり慎重に歩いた。痛みは湿布薬を貼ったので軽くなっていた。15時25分朝日峠でアイゼンを脱ぐ。この時下から上がって来る老夫婦の登山者に会った。私に朝日岳はここからまだ遠いのか聞いてくるので小一時間ぐらいで行けるだろうと言うとじゃやめときます。と言う。大弛峠まで車で来たが、登り始めて少し経ってもどしたので、車で休んでいてちょっと具合が良くなったので歩き始めたという。気圧の加減だろう。朝日岳(2579m)も金峰山と大して変わらない標高だ。まあ無理しないほうがいいですよと言って朝日峠から大弛峠まで一緒に降りた。大弛小屋は峠のすぐそばにあった。大弛小屋でソフトクリームを食べようとしたら山小屋の主人が3時で終了だという。時計を見ると16時10分だった。夕食は19時からだった。泊まり客は6人で女性(ざまみさん)が一人、大阪からは私と本間さん後の人の名前は知らない。夕食は最初おでんだった、それが終わったら声をかけてくれと主人は言う。それぞれが声をかけると主人は土鍋に野菜や肉や厚揚げをどっさり入れてくれた。量が多く腹一杯になった。夕食の後本間さんと話をした。彼も高校時代山岳部だったという。ちょうど僕らが高校・大学の頃は山岳部やワンダーフォーゲル部が盛んな時だった。海外の山に日本の遠征隊がよく挑戦していた時期でもあった。そんな思い出を二人で話し合った。彼はジャズが好きだった。特にルイアームストロングがいいという。私もサッチモが好きだが、中でも「サンタが街にやってくる」やタイトルは忘れたが007の挿入歌も素晴らしい。大弛小屋はバックグラウンドミュージックにジャズを流していた。もうだいぶ昔になるが京阪電車が石山と坂本間でジャズ電車を走らせていた。フライミーツーザ・ムーンやA列車で行こうなどが生演奏で聴けてご機嫌だったことを彼に話した。彼は日本のジャズマン渡辺貞夫や北村英治、そして日野皓正の話をした。そこで私は美空ひばりが江梨チエミのテネシーワルツを日野皓正のトランペットの演奏で歌っているのを聞いたことがあるか、聞くとないと言う。それなら是非聞いて欲しいと彼に言った。美空ひばりは天才だと私が言うと彼も天才だとうなづいた。なんだかんだ話していると彼はもう地酒を4本開けていた。私はウイスキーのポケット瓶を半分ぐらいしか飲んでなかった。彼が5本目を注文すると小屋の主人が飲み過ぎだと注意した。そこで話は終わった。ちょうど消灯の時間だった。20時30分消灯。明日は5時出発だ。
夕食後山仲間と話し合った。不思議なことに3人が海外での生活や海外に商社の駐在員として働いてきたこともあり、海外の話題になった。中国に赴任していた駐在員は貧富の差が激しいことや日本に来ている人たちは富裕層であるが競争が激しく安定はしていないと、開発のスピードが違うとも、ドイツで働いていた人は日本と普段の生活はあまり変わらないと、また日本人の技術者たちが割といるので夜はそういう方達と飲みに行ったと、主にビールとワインを飲んだが、あては豆類が多かったという。ただこれは日本式の飲み方だともいう。女性は沖縄から日本の山に登りに来ていた。沖縄ではレアーーな存在だという。日本の山に年2〜3回来る。一つだけ登るのは勿体無いから縦走をよくするそうだ。続いて山の保険の話になった。みんな山岳保険をかけているという。私は海外旅行の時にはいつもかけているが、今はかけていない。それとymapの地図や、保険 ココヘリにも入っているという。私はココヘリは初めて聞く言葉だった。山で遭難した時にヘリで捜索してくれるというプランだ。私はGoogleで地図など携帯で確かめるが、電波が届きにくいところではGoogleの地図は見れない。だからあまり信頼していない。ただ太郎平小屋から黒部五郎岳を目指した時自分がどの辺にいるかわからない時、登山者の一人がymapでかなり正確に現在いる場所を示してくれて、少し歩くと道標通りだった記憶がある。ランプの下で語り合った後20時に解散した。
10月29日(土)朝5時30分に起床もっと早く起きるつもりだったが、夜中目が冴えて眠れなく、朝方にグッと深い眠りになったようだ。35分朝食、朝食はピータンの雑炊だった。日本のヒマラヤ遠征隊が食べたものと同じとの解説があり、後は古代米と赤米のお餅が出た。洗面とリュックの梱包を素早く済ませ、6時20分に富士見平小屋を出た。7時30分大日小屋着、8時大日岩右手に八ヶ岳、正面に南アルプスの山々が見える。正面の一際高いのが北岳と教えられる。10時10分砂払いの頭富士山が見えビデオを回す。雪が凍っているのでアイゼンをつける。11時30分頃アイゼンがズボンの裾に引っかかり後ろ向きにどっでんとこける。腰を打った。しばし立てなかった。12時五丈岩12時10分金峰山頂上前のちょっとした広場で昼食にする。カロリーメイトとベーコン、カップラーメンを食べ、腰に湿布薬を貼り付ける。12時45分金峰山(2595m)頂上着、深田久弥の百名山によると山梨県側ではきんぷさんと呼び、信州側ではきんぽうさんと呼ぶと書いてあり、それらの謂れが詳しく書いてある。また金峰山というのは山の美称であろうかと疑問を投げかけている。
瑞垣山荘のバス停ではすでに登山を終えた人たちが10人近くいた。マイカーで来ている人たちが5人、バスで帰る人が5人いた。私が13時54分に着いたバスで折り返して韮崎まで行くのだ。今日は乗り換え時間が短かったため途中で昼食を取れなかった。14時に昼食を取る。まるちゃんのタヌキと握り飯を2個食べて、食事の後はネスカフェのスティックコーヒーを飲んだ。以前は缶コーヒーなどを買って飲んだが、最近は空き缶の捨て場がないのでスティックコーヒーか紅茶にしている。富士見平小屋まで登山者が5名いた。歩い初めて少し経つと山の景色が美しく、緑の針葉樹、紅葉などの紅葉、銀杏の黄色、桜の赤紫色などモザイクのようになった山麓の景色を目に止めた。それからこの景色を忘れないようにとビデオカメラを回した。夫婦の登山者に瑞牆山がよく見えるところを教えてもらった。そこにはベンチがあり、休憩しながら山頂付近の岩がゴツゴツして荒々しそうな瑞垣山を見た。ここでもビデオを回した。16時10分富士見平山荘に着く。富士見平小屋に着くとすぐに小屋の決まり事を知らされた。夕食は午後5時30分・朝食は5時30分 水は水場から汲んでくること、お湯はサービス、トイレは外に一箇所、用便は必ずそこですること、寝床はひとつおきに寝る。男女の区別はしていない。消灯は20時30分 夕食まで少し時間があったので日記をつけていると携帯に友人から電話があった。新潟に住む友人からだったが、よく聞こえた。山の中ではドコモが有利だが、ここはauもよく入った。富士見平小屋での泊まり客は8人で女性が1名いた。小屋から少し離れたところがテント場になっており、7張りのいろいろな形のテントがあった。テントの費用は1000円だ。最近山小屋利用でなく、テント泊の人も増えてきているような感じがする。テントが軽くなったことや山小屋の規則などに縛られたくない人が増えたのか、食事の問題か、費用の問題なのかよくわからないが、増えている気がする。夫婦の登山者もテント泊だった。夕食はきっかり17時30分に始まった。夕食を前に山小屋のご主人から料理の説明があった。ウインナーは当山小屋で作られたもので左が猪の肉の腸詰、右が鹿の肉の腸詰で当山小屋以外では食べられないものですという。私は鹿の肉や猪の肉は以前に食ったことがあるのでなるほどなという気持ちで食べていた。
本年最後の山登りをどこにするか考えた時、武尊山、吾妻山、飯豊山が残っていた。行きにくい山から行こうと考えていたのが一案、それと縦走できそうな山がないかが一案あった。縦走は3年前に屋久島の宮之浦岳以来だ。ただ宮之浦岳の縦走は夏だったので装備も比較的軽いが、10月の終わりから11月にかけての山行は装備が増えるので小屋泊まりと考えた。昭文社の「山と高原地図」を見ながら
行けそうだと思ったのが金峰山から甲武信岳の縦走だ。金峰山の手前には瑞牆山というのがあってこれも100名山だ。ふもとの富士見平小屋からだと一泊2日で二つの100名山を登頂できる。でもちょっとイージーすぎる。そんなわけで金峰山から甲武信岳重曹を試みた。天気も10月下旬はかなり安定しているとの予報だったので、10月28日から30日までで一泊目は富士見平小屋、二泊目は大弛小屋、その後西沢山荘か早く降りれれば地元の民宿と考えていた。富士見平小屋も大弛小屋もすんなり予約できた。大弛小屋はインナーシーツ持参とのことだった。また山には積雪が15cmぐらいあるのでアイゼンなどの装備も必要とのことだった。
28日は朝から快晴6時28分の関空快速に乗った。この電車は堺市駅から大阪駅まで直通なので便利だ。7時18分のひかり638号に乗る。名古屋に8時30分に着いて、9時ちょうどのしなの5号長野行きに乗り換えた。10時25分木曽福島の手前で車内放送があり、寝覚の床の紹介をしていた。あっという間だが巨岩と深い瀬、エメラルドグリーンの水の色山山は紅葉が始まったばかりで緑の間にオレンジや茶色、黄色の葉をつけた樹木が車窓から流れて見えた。10時54分塩尻着、1番線から普通高尾行きに乗り換える。みどり湖から岡谷まで長いトンネルがあり、その後各駅に停まって12時32分に韮崎に着いた。ここから山梨峡北交通のバスに乗り換えだが3分しか時間がない。急いで韮崎駅改札口を出て2番乗り場に向かった。バスは小さなバスで韮崎から瑞垣山荘まで約1時間20分である。瑞垣山荘までのバス停でハイジの村・明野つみとり園、増富温泉(ラジウム泉)などがあり、駐車場も一杯だった。どこも人気があるらしい。瑞垣山荘で降りる時に運転手がシルバー割引があると言って2100円の運賃を1900円にしてくれた。
5合目でスパッツを装着昨日の雨で登山道はぬかるっていた。思ったより寒い、ウールのシャツがいるくらいだ。しかしポリエステルの汗が発散しやすい服だったので防寒用としてレインコートを着て手袋もはめた。9時35分8合目到着風強く寒い。10時2分前(ニセ)巻機山到着、10時30分避難小屋に到着した。広さは10畳ぐらいある。避難小屋の前はベンチが6台ぐらいあってここが昼食に利用している人が30人ぐらいいた。ここから頂上まで50分だったので小休止後すぐに頂上へ向かった。井戸尾根分岐からほんの10分で頂上についたがそこは本当の頂上でないと地元の人に教えられ、15分歩いたところにケルンが積んである本当の頂上に11時15分についた。風が強く寒い。記念写真だけ撮ってスグに降りた。避難小屋までは30分とかからなかった。避難小屋は中にトイレが一つ外にもトイレがあった。中のトイレは靴を脱がねばならないので外のトイレを利用したが、8人待ちだった。およそ20分も待った。寒いのでおしっこが近くなっているのだろう。それと行儀が良いのか登山道で用を足している人は見られなかった。12時5分の昼食は民宿で作ってくれたお弁当だった。おにぎり以外にゆで卵と漬物・ソーセージと入っていた。12時30分避難小屋発、8合目までは寒かったが樹林帯に入ると暖かくなった。6合目でカッパを脱いだ。民宿の大将が5合目まできたら電話をかけてくれと言っていたので電話をする。行きも帰りも送ってくれる。ありがたい民宿だ。14時35分5合目通過、15時45分3合目着、すでに桜塚駐車場には大将がきていてスグに民宿に向かった。歩けば1時間ぐらいかかるところを10分と少しで戻った。靴を洗い、梱包をし直していると、風呂に入っていけという。バスは17時15分だからまだ40分も時間がある。風呂から上がると汗臭い下着を脱ぎ予備の下着を着て、いい気持ちになった。バス停まで歩くと5人の登山者がバス待ちをしていた。何も巻機山の登山者で東京方面の方達ばかりだった。バス停の横におばあちゃんがよく押している小さな乳母車のようなものがあったので、土手の上を見るとおばあちゃんの安倍カオルさんが畑仕事をしていた。おばあちゃんに大きな声で挨拶をして夕暮れのバスに乗り、上越新幹線・東海道新幹線を乗り継いで堺に戻ったのは10月10日の深夜0時35分だった。