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九州旅行1

2021年04月29日
皆さんお元気ですか? 私は4月4日から九州へ旅行と祖母山登山に行ってきました。でも本当のところは日本で2番目に無駄な石木ダムを見てくることでした。これは私が嘉田滋賀県前知事の勧めで大阪で「ほたるの川のまもりびと」の上映会を催した後、現在はどうなっているのか、どうしても見たかったためです。それに吉野ヶ里遺跡と金印の志賀の島、太宰府観光を、それと祖母山登山をくっつけたものです。
九州へは最近ピーチを使い後はレンタカーで廻っています。4日は早朝に関空から福岡に飛び空港で私の友人に会い、彼に現地の案内と運転をお願いし、志賀の島からまわりました。当初私は志賀の島は船で行くと思っていましたが、今は橋ができていて高速から降りたらすぐ志賀の島に行けました。金印は小さいものでわずか2,3cm重さ108gです。江戸時代の学者亀井南冥(なんめい)によって解き明かされました。この後吉野ヶ里遺跡に行きました。ここは平成元年に発掘されました。元はと言えばここに工業団地を作る計画で土地の整備を始めたところいろいろな土器や集落跡が見つかったものです。平成13年に「弥生人の声が聞こえる」を」テーマに国営吉野ヶ里歴史公園としてオープンしました。この遺跡が邪馬台国論争に終始を打ったことは周知のことです。遺跡が3世紀後半であることです。邪馬台国は魏志倭人伝にあるように卑弥呼が魏に朝貢した景初2年(238年)にくわえ、日本書紀の所引の「晋起居註」に倭女王が晋に泰始2年(266年)に朝貢したと書かれたことから実在したことが確かであるとされました。また研究によると卑弥呼は当時の女首長の俗称であると言う説もあり、女首長の地位についた卑弥呼は数人いたのではないかと想像されます。
P4040010金印発見の場所
P4040015金印
P4040013金印の説明板
P4040023吉野ヶ里遺跡の環濠集落の柵
P4040026発掘された石器類
P4040036埋葬手順を示した図