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巻機山登山2

2022年10月25日

5時ごろになって女将さんがふろへと呼びにきたので入ることにした。階下に風呂があるが、普通に一階にあると思っていい。豪雪地帯だから旅館の入り口が中二階だ。水が透き通るようなお風呂で温泉ではないがしっかりぬくもった。風呂のあと部屋に戻ろうとするとおばあちゃんがいたので歳を聞いた。耳もよく聞こえ、話し声もしっかりしている。ここのご主人(大将)のお母さんで昭和2年生まれの95歳だという。名前は安倍カオルさんで今でも畑仕事をするという。主人は72歳で亡くなったと、私の女房の母喜美ばあちゃんと同じ歳である。何か嬉しくなって写真を撮らせてもらった。このあとすぐに夕食になった。6人ほどの男性のグループでやはり巻機山登山の人たちだった。夕食を食べる前に大将が料理の説明をしてくれた。アケビの新芽の塩漬け、これは卵をかけて食べると美味しい。天然物の鮎・・少し小ぶりだ。茗荷、舞茸、海老の天ぷら、うどの塩漬け、蕨と鰹節のおかず、やだけの新芽の塩漬け、それと舞茸の吸い物だった。これに日本酒八海山一合がついていた。八海山は美味しくスイート腹に入っていく。ご飯は魚沼産のコシヒカリだ。それも越後湯沢から一つ目の塩沢という産地の米で口に入れるとなんとも甘〜い感じが口の中全体に広がる。飲みながら何か天国で食事をしているみたいだ。隣のグループの話を聞いていると40歳以上で最高齢は82歳だった。ついで金融機関の認証の話になった。認証は指の指紋を使う場合年齢とともに指紋認証ができなくなるという。私もりそな銀行で何回も指紋認証で跳ねられた経験があるのでよく聞いていると、指紋が歳とともに溝が減ってきて認証できづらくなるという。私も思わずそうしたことが何回もあったので話の中に自然と加わっていた。私はりそな銀行で70歳あたりまでは指紋認証で行けたが、それ以後全くと言っていいほどできなくなった。今は暗証番号で操作できるATMでおろしているというと、みんな納得してくれた。そしてその装置は一番隅っこに置かれている。と言うとそれも納得してくれた。結論は認証制度はある程度の年限で再度更新しなければならない。3年ごとの更新や5年ごとの更新が必要だと言っていた。朝は何時に朝食か聞かれ6時と言うつもりだったが、隣のグループが5時と言うのでそれに合わすことにした。それと大将が登山口まで送ってくれるという。なんと言うサービスだ。

10月9日4時30分起床、5時に朝食 5時30分に旅館を出発し桜坂駐車場に45分いついた。驚いたことに駐車場にもう車がいっぱいで50台以上が止められていた。こんなに人気がある山かと感心させられた。ここから尾根コースの登口三合目に向かう。私の後から若い登山者たちが追い抜いていく。新発田高校の山岳部員たちは先生含め8人ほどいた。五合目で小休止を取ったが。同じく高校生も同じ時間に小休止をとった。リーダーらしい男の子が7時5分出発とみんなに告げている。私の時は五万分の一の地形図を広げたが、彼らはスマホで位置確認をしていた。

PA081988清水集落 あいにくの雨だった

PA081990夕食山菜の数々に八海山の清酒1合付き

PA081991安倍カオルさん95歳 元気だ

PA091992桜塚駐車場すでに50台以上が止まっていた

PA0919984合五勺 この五勺が珍しい

PA0919965合目7時に着いた

PA0920035合目で ここで休憩する人が多かった


巻機山登山1

2022年10月24日

越後三山の一つ巻機山に登山する計画を立てたのは、四阿山の登ぼる計画を立てる前だった。ところが平ヶ岳・越後駒ヶ岳ともアプローチに時間がかかるし行程も長い。それで後回しになってしまった。特に平ヶ岳は奥只見湖を遊覧船で渡る情緒豊かなものだっただけに季節がもう少し早い時に行かねばならなかっただろう。ただその中で巻機山が手っ取り早かったので今回計画した。最初は金沢回りで行こうと思った。大阪からサンダーバードに乗っていくと12660円で時間は8時間半、新幹線利用だと20000円かかるが時間は5時間40分だ。行きはサンダーバード帰りは新幹線と決めた。それと言うのも帰りは巻機山から下山してその日のうちに大阪堺まで帰れるからだ。それから少し迷って結局東京周りにした。8時間半と言う列車旅が体に負担をかけるかもしれないと思い、東京周りにしたのだ。 JRも東京中心に考えているのかもしれない。富山・新潟は距離的に大阪に近いのに時間がかかりすぎる。そして東京周りにするのだったらと、東京で少し用事をすることにした。東京でこの頃泊まるホテルはトーセイホテルココネ・上野御徒町にしている。開業して2年ぐらいだと思う。御徒町の駅から5分とかからない。すぐそばに餃子の王将があるのも魅力だ。そしてここから上野にかけてアメ横がJR山の手線沿いにあるので各お店を覗くのが面白い。中国人や韓国人・タイ人も商売している。終戦後ここで飴がうられたことからアメヤ横丁と名付けられたのも面白い。なぜ戦後飴を人々は求めたのだろう。夕食はかつやというところのトンカツと豚の焼き肉のダブル丼を食べた。759円で腹一杯になった。そしてホテルでビール片手に中国産のポテトチップス・ピスタチオなど食べながらテレビを見て過ごす。10月8日の朝はゆっくり起床し、9時半にホテルを出た。そして10時 16分発の「とき315号」新潟行きに乗った。越後湯沢駅到着が11時34分ここでほくほく線直江津行きに乗り換えて、2駅目の六日町駅でおりた。天気は曇りで厚ぼったい雲が垂れ込める。バスに乗るまで約1時間半の待ち時間があった。ここで昼食をし駅前をぶらぶら歩く。南越後交通バスの清水行きは1日に3便しかない。13時40分に六日町を出て14時7分に清水に着いた。本日の宿の泉屋はバス停の側だった。宿に荷物を置いて近くを散策しようと少し歩いたところで急に雨が降り始めた。気温はかなり低い。霧も深く景色も見えないので宿に引き返し、布団を抱いて寝た。

PA081961ほくほく線越後湯沢発直江津ゆき

PA081974六日町駅

PA081964六日町駅前の商店街

PA081968地酒の看板 八海山は美味しい酒だ

PA081977泉屋旅館

画像泉屋旅館がここの旧家 江戸時代は御用勤めをしていた

PA081983ツキノワグマ 昔はかなり出ていたらしい



昼食の後5分ほど黒斑山頂上にいたが、風が強いので降りることにした。トーミのかしらの手前から雲が切れ始めた。陽が瞬間的にさす。トーミのかしらの直ぐ手前で前掛山がくっきり見えたそして蛇骨岳、仙人岳、鋸岳が見える。数枚写真を撮った。トーミのかしらから私は「中のコース」を取ることにした。こちらの方が下りがキツくなく、表コースより20分ほど早く降りれる。15時小休止、レインコート・ヘルメットをしまう。高峰高原発のバスが16時20分だから余裕を持って降りれる。コースも緩やかな下りでピッチが上がる。降るに連れ風も無くなってきて気温も上がってきた。少し前まで寒かったが今度は汗をかくほど暑くなってきている。15時30分にバス停についた。早速高峰高原ビジターセンターに行ってソフトクリームを食べる。ここのソフトクリームは6種類もあった。その中に白桃というのがあった。岡山旅行でこの白桃を見たが普通の桃の3倍くらいの値段がしていたと思う。ソフトクリームを食べながら白桃の味かどうか確かめていた。センター内には私一人しかいなかった。センター職員の若い女の子がどこからきたか尋ねてきた。大阪堺からだというと遠くから来たんですねという。ここへ安く来ようとするとサンダーバードに乗って金沢回りで来れるが時間がかかりすぎる。しかし運賃は13000円ぐらいだ。けれど東京周りだと6時間で来れる。運賃は18000円ほどするけど便利で早い。高峰高原から本日中に堺まで帰れる。と言うと大概の人は高峰高原ホテルに泊まっていくのですよと言うので、私は金がないから宿泊代が払えない。と言うとあまり本気にしない顔をした。ところでここは群馬県の嬬恋村と標識が出ていたが、なんとも色気のある名前だね。女が濡れて恋をする。嬬恋村に入ったらこんな女がウヨウヨいるのか?・・・・嬬恋村ではこの文字で町おこしのキャンペーンをしているそうだ、でも私は水戸出身という。それから鳥の話になってここはムシクイ類が多い。アマツバメ、イワツバメもいる。イワツバメは滝の後ろに巣を作る。ホシガラスもいると、アマツバメは鳥の中では最高速で水平に飛ぶ。しかしツバメ類の仲間ではない。など 16時17分発のJRバスは小諸に寄ってから新宿まで走る。乗客は私一人だった。バスの運転手と小諸までの間喋った。コロナ前はこの路線はいつもほぼ満員だったけれどコロナで客は遠のいたという。何しろ新宿まで安く行ける。新幹線線の三分の一ぐらいじゃないか、と私も夜行バスを利用したが都庁の近くの路上でバスが止まり、係員が大声で出発時間と行き先を告げていたのを思い出す。今は新宿駅の南出口近くにバスターミナルを都が作ってそこに集約されているという。私も一回だけ利用したことがある。運転手は路上での乗降に近隣から苦情が出たからではないかと言っていた。小諸駅で私は降りたが、入れ替わりに10人ほどが乗ってきた。新宿に20時20分に着くのだからお得なバスだ。小諸から篠ノ井まで行き、そこで土産と夕食にとろろ蕎麦と酎ハイを買い、新幹線内で食事をし、家に着いたのは19日(月)の0時50分だった。

P9181895黒斑山山頂で記念撮影

P9181896シカ?カモシカの糞

P9181897トーミのかしら 浅間山側は絶壁だ

P9181903前掛山か?

P9181904仙人岳?を望む

P9181912ベニテングダケ

P9181917山の神に無事帰れた事を感謝100円お賽銭

PA102041お土産 雪男という日本酒 新潟名物笹団子

ピータンとザーサイは上野御徒町で買った




朝上田の駅から小諸に向かおうとすると30人ぐらいの外国人旅行客の団体があった。顔貌の感じでアメリカ人らしくなかった。ヨーロッパとするとどこだろう。とにかく英語で聞いて見ることにした。するとポーランドから来たという。観光か聞くと私たちはオーケストラの団員で演奏会を開いたという。全員で40名が来ている。菅平はスイスのダボス市と姉妹都市になっていてバス停にも取り入れられている。私はもう10年前にポーランド第二の都市クラカワに行ったことがあるというと驚かれた。

しかしアウシュビッツがあったオシフェンチムに行ったと言っても通じなかった。しかしアウシュビッツで通じた。そしてまたクラカワは美しい街で飲食店ではバンドが中で演奏を聞かしてくれたといに滋野駅があり、相撲取り雷電の出身地と書かれていた。私は雷電爲右エ門のが描かれているメンコを持っていたのでそういう強い力士がいることを知っていた。言い伝えでは生涯に10敗しかしていないという。これほど強いのに横綱になれなかった。江戸中期の相撲取りだ。小諸駅から高峰高原行きのバスは本数が少ない。また高峰高原からのバスも一日2本でこれは新宿まで行くJRバスだ。8時53分発のバスには乗客が3人しか乗ってなかった。9時30分にjついた。ここには高峰高原ビジターセンターがあって浅間山に関する情報を提供している。浅間山に一番近くまで行けるのは前掛山なのだが、あいにくの濃い霧がほとんど山を隠している。見られるとしたら黒斑山や蛇骨岳からだろう。浅間山は大昔黒班山よりも低かった。黒斑山が2800mあったが噴火で400mが吹っ飛んでしまい、浅間山に高さを抜かれた。登山口の車坂峠には一人だけ若い人がいた。お先にと言われ彼を見送ってから頭にヘルメットをつけての登山が始まった。コースは表コースと中コースがあり、表コースを辿ることにした。12時に小休止、鼻血が止まらない。下山者2名に会う。彼らは霧が濃いので降りてきたという。12時15分雨になったのでレインコートとザックカバーを装着、12時50分トーミのかしら到着、鼻血のせいでタイムは大幅にオーバーしていた。13時12分黒斑山頂上相変わらず霧が濃く、5名が下山して行った。その中に外人の若い女性がいたのでどこから来たか聞くとスペインのバルセロナからだった。私もそこには2回も行っていたのでサクラダファミリアに登った話などした。しかし霧が濃くて悠長に話などできない。視界が7mもないのだ。すぐ別れてしまった。どうするか迷った挙句に私は頂上で昼飯を食べることにした。もしものことで昼食中に晴れることがあったらと期待しながら、カロリーメイトとベーコンを食べた。風がきつい。レインコートがバタバタと音を立てる。

P9181869小諸駅朝市

P9181872車坂峠にてヘルメット姿

P9181875高峰高原ビジターセンター

P9181877火山活動が活発になってきているとの注意

P9181884避難小屋この近くでスペインの若い女性と会う。

P9181890トーミのかしら後ろは絶壁になっている



昨日はワインの酔いも手伝って早く寝てしまった。朝は4時過ぎに目が覚めた。寒いのである。部屋にストーブが用意されていたが、使ったらもう5時に起きられないと思い、布団の中で我慢した。5時昨日登山の用意ができてなかったので改めてパッキングし直し、地図を広げて今日のコースと頂上のの到着時間を予想した。6時に朝食が出され、それが終わるとオーナーとすぐに出発した。登山口に着いたのは6時55分、今日は根子岳から四阿山への登山だ。根子岳への登山道は牧場に沿った道で牛が逃げないように石垣が拵えてあった。オーナーの説明によると猫岳の麓や登山口周辺は牧場になっていて夏場麓の酪農家から牛を預かって秋の終わりまで放牧するという。石積みの柵は高さが1,2mあるがこの柵を越えて他の群れに入る牛もいるという。7時40分展望台に到着ここから槍ヶ岳、剱岳、鹿島槍、五竜岳が見えた。8時55分小休止、9時45分根子岳頂上、根子岳でウッドラフで同宿していたU夫妻に追いつかれる。U夫妻は富田林から来たという。根子岳から四阿山までは尾根道のアップダウンがあり、四阿山手前の三叉路で昼食にした。12時30分頂上着、「頂上には信州の方に向いて立っている信州祠と上州の方に向かって立っている上州祠がある。信州洞には日本武尊、弟橘姫、イザナミノミコトを祀り、信州祠には大己貴命、須勢理姫命を祀る」と深田久弥の百名山に書いてあるが、ウッドラフのオーナーは上杉謙信より信州と上州を治めるように言われた真田幸隆が信州と上州にミラみを効かすために立てたと言っていた。それを聴いていた私は遠い神話時代の話よりオーナーの話の方が現実味があって面白いと思った。四阿山はどうしてこんなに人気があるのかわからないが、頂上に30名もいたし、三叉路では50人近くが昼食をとっていた。下山開始して1時間経ったところで、私より年下の婦人が岩の上にうずくまっていた。大丈夫かなと思いながら通り過ぎようとするとご主人より声かけられた。「女房が転んで頭を岩にぶつけて血が流れているんです。どこか連絡つきますか」というので、そしたら私が泊まっていたペンションに電話してみましょうかというと、「それなら私菅平高原ホテルに電話します」という。ついで何か薬持っていませんかというので、私は芍薬甘草湯と補中益気湯をリュックから取り出し夫人に与えた。おでこに大きなタンコブを作っていたので芍薬甘草湯が効くだろう。両方ともツムラの薬で芍薬甘草湯は堺の知人からよく効くと教えられたものだ。飲んで10分ぐらいして婦人は気分が良くなりましたという。「30分したら多分良くなりますよ。それまでしばらく休まれた方がいいです。」と言って別れた。後日夫人から丁重なお礼の電話があった。

P9171831中央に鹿島槍、その左が槍ヶ岳、その奥が剱岳

P9171839根子岳山頂にて

P9171844三叉路

P9171846上州祠

P9171847四阿山山頂にて

P9171850信州祠




私が収穫した野菜は着払いで送ってくれる。あまりたくさんだと送料がかかるので大体の量をオーナーが示してくれた。白菜2個 とうもろこし6本ぐらい、レタス2個、これで100サイズだ。残りの収穫物はその日の夕食にでた。白ワイン片手にレタスの突き合わせは乙なものだ。私はレタスのおかわりをしてしまった。ウッドラフではオーナーがウェイターをして奥さんが料理を作っていた。私以外に泊まり客が六人いた。二人は私と同じ四阿山登山だった。食堂というかダイニングルームでの食事が終わった後、私は気になっていた隣室のオーディオルームについてオーナーに聞いた。でっかいALTECのスピーカーが左右上下に2 台づつ、ALTECのスピーカーのホーンの下部にはCORALのツイッターさらに奥にはパイオニアやラムサの音響機器、何んと真空管の装置もある。しかし埃が薄らとあったので実際に音が出るのか聞くと出るという。そこで鳴らしてもらった。私も若いときオーディオに興味を持っていてALTECの20cmのスピーカーを日本橋まで買いに行ったことがある。箱は多分ヤマハか日本コロンビアが作っていたと思う。これだけの設備をするのは相当な費用がかかったでしょうねというと、実は私は2代目でこのペンションは別の人が建てたものだということだった。彼はこのペンションより下の方でペンション経営をしていて、このウッドラフが売りに出るということで買おうと決めた。しかし買う人がちゃんと維持してくれるかという売主の思惑があり、期待に応えられない人は落ちていって、私が売主の期待にあったようですと控えめにいわれた。私は泊まり客にこんな素晴らしいオーディオ装置はないから音楽を聴くようにいうとみんなはあまり興味なさそうだった。どうやら世代が違うらしい。私はここでWOWOWで歌劇「リゴレット」をやっていた。風の中の羽のようにいつも変わる女心を久しぶりに聴いた。音のキレが良かった。もう筋は忘れたが二人の男を同時に愛した女性の悲劇ではなかったか?こうゆうでかいスピーカーにあう音楽はクラシックなのかもしれないが、私はタンゴが合うと思っている。いろいろなことを思い巡らしながら夜は更けていった。明日の登山の用意もしないままに眠ってしまった。

P9161796ペンションウッドラフの入り口 両側に狛犬らしき像があるが狛犬でない

P9161800夕食 真ん中にレタスがあり、ワインに合う

P9161797オーディオルーム 左右に箱型のALTECのスピーカー上下に4台設置

P9161801ウッドラフのオーナー 高原野菜の収穫楽しめました


信濃鉄道の上田駅に降り立つとすぐに6連銭が目に入った。真田幸村の出身地だ。南海電車でも一時車体にこのマークをつけて走らせていたことがある。2015年の秋から「真田赤備え装飾」として電車や九度山駅が装飾された。このときに九度山に行ったことがあったので懐かしかった。上田駅から上田バスで郵便局前に降りるとすぐに迎えの車が来ていてそれに乗り、急坂を幾つか登るとペンション「ウッドラフ」に14時40分についた。気温が低い。部屋に案内されてしばらくすると高原野菜の収穫体験が始まった。これは午前中の催しだが私一人のためにオーナーが配慮してくれたものである。まず運動場の何ん倍かあるグラウンドに連れられていった。そこはレタス畑である。大きなレタスが何十列も植えられ、綺麗でまるまるしている。スーパーで売られているのより一回り大きい。ペッティナイフのようなもので根元にごそっと刃を入れてとる。農業は機械化されており、育てている間虫がつかないように消毒するのは大きなトラクターで行う。収穫だけは手作業だ。出荷に当たっては均一なものが求められ、大きさと重量が決まっている。レタス以外にブロッコリー、白菜、サニー、キャベツ、トウモロコシ畑を見せてもらった。トウモロコシは茎を持ってぐいっと折り曲げると簡単に取れた。とうもろこしの頭にある毛のようなものの成長具合や葉がしっかりしまっていて虫がついていないもので取り入れるとのことだ。少し遠くのゲレンデにはブロッコリーが植えられていた。オーナーに夏は高原野菜で儲け、冬はゲレンデで儲けて一年中ウハウハの人生ですねというと、菅平の人たちは裕福だという。私がなかなか宿が見つからなかった理由はほとんどの宿が団体さんや複数人の宿泊をメインにしているので案内の中に一人というお客は対象になっていないという。一人のお客さんに対応するのなら休んだほうがマシと考えているのだろうという。旅行業者や観光地の宿泊がコロナの影響で不振を極める中こんなに逆の宿泊施設もあるものだと感心させられた。続いて白菜の収穫だ。丸まったところだけ収穫し、周りの葉は捨ててしまう。勿体ないと思うけれどここでは常識だ。あまり大きいのはもっと外側の葉を捨てるという。最後はこれらの高原野菜の野菜畑を一望できる高台に行った。手前のゲレンデはレタス畑、遠くはブロッコリー畑そしてその遥か向こうに東に四阿山、西に根子岳が見えた。

P9161795ペンションウッドラフ

P9161780レタス畑

P9161793ブロッコりー畑

P9161787トウモロコシ畑

P9161786育ちの良い葉がしっかりとまかれたとうもろこしがいい

P9161784白菜畑

P9161794ブロッコリー畑・レタス畑のはるか向こう東に四阿山・西に根子岳が見える