二風谷アイヌ歴史文化博物館や萱野茂にぶたにアイヌ資料館で撮った写真を紹介したい。
朝10人で出発したバスは帰りは7人になった。3人は幌尻山荘で泊まったらしい。午後5時50分とよぬか山荘についた。すぐに帰る人はなく、みんな一泊余分に泊まることになった。夕飯はそれぞれ用意していたが、山荘でもインスタント食品の販売もしており、便利だ。またビールや酒もあった。ビールは350ml400円、500ml500円で私は500mlにした。夕食はコンビーフとラーメンと安心米(非常食)にした。昨日は山荘らしからぬ雰囲気だったが今日はみんな上機嫌だっ。中でも「山と高原地図・利尻羅臼」の執筆者渡辺敏哉氏が来ており、彼の話を皆さん面白く聞かせていただいた。それから中島・岩井私の三人がビール片手に色々山の話をした。中島氏は64歳、岩井氏は70の少し手前、私が77歳で一番年上だった。中島氏は沢歩きは好きらしく十分楽しんだ様子だ。岩井氏は高校の時インターハイに出ていて今でも一日10km走ったり、歩いたりしているとのこと、ただ3年前までは走っていたと言い、すごいなと思った。私は今日ずぶ濡れになったので洗濯を話の合間にした。乾燥機もあるのでほとんどサラになった。疲れもあってか9時30分位は眠たくなって寝てしまった。
8月2日6時5分に起き出発用意、7時に朝食、予備日をとっていたので半日フリーだった。そこでこの山荘から近い二風谷のアイヌ資料館と義経資料館見ようと思った。8時20分とよぬか山荘を出発、9時30分に二風谷アイヌ歴史文化館についた。家でこの方面を調べていると二風谷のアイヌ歴史文化館や義経資料館、日高山脈博物館が出てきたが、ここが一番近く237号線沿いにあった。二風谷アイヌ文化博物館と萱野茂二風谷アイヌ資料館セットの入場券が700円で、最初アイヌ文化博物館から見た。入場するとすぐにステージがあり、アイヌの歴史や文化、生活、狩猟や漁労などの映像が紹介される。次にその背後に<アイヌ>人々の暮らし<、カムイ>神々のロマン、<モシリ。天地の恵みというテーマで展示されていた。木彫や刺繍がアイヌ独特のものがあると感じた。また信仰や熊送り(いよまんて)に代表される神事、モシリでは桂の木をくりぬいた丸木舟の展示や現代の民芸も展示してあった。そして色々なチセ(小屋)が立ち並び、その中では機織り、木彫、刺繍などがなされていた。チセ(小屋)でしてはいけないことは神様のために開かれた窓は人間が絶対とおてはいけないとされていることで、アイヌは神様と共に生きているというのが彼らの文化なのだ。そして最後に萱野茂アイヌ資料館に立ち寄った。アイヌ民族を掘り下げて研究されている人だ。地球上北半球には約40の少数民族がいるらしい。2階に上がると各国の少数民族が展示され、特に目を引いたのはアムール川沿岸でチョウザメをとっている民族だ。世界三大珍味の一つのキャビアの一つがこんなところで獲れていたというのも驚きだった。
幌尻山荘のベンチで昼食にカレー飯を食べコーヒーを飲んでゆっくりする。今井さんは「この雨じゃ明日バス来ないかもしれないから降りることにした」という。17時まで約5時間弱あるので余裕を持って降りれるだろうという。本人は登山靴を履いていたが沢に近付いたら地下足袋には着替えるという。私も降りることにしたら山荘の主人は「あなたは沢登りに時間がかかったから17時までに降りれないことがあるかもしれない」という。携帯電話を取り出してバスの運転手に電話してくれて「米道綱夫と言う人が遅れるかもしれないから少しの時間待っててほしい」と電話してくれた。12時35分に出発、約1時間歩いて渡渉も10回は終わった時だった。ちょっと急な流れの中に足を入れて次の足を岩の横の水の中に置いた、水深は40cmぐらいだったろう水の流れが早いので靴の様子はわからなかった。次の一歩を踏み出そうとすると靴が水の中の岩と岩の間に挟まった。その途端身動きが取れなくなって頭から川の中に落ちた。頭から胸までびしょ濡れになった。手は水底につけたのでなんとか起き上がれたが、そのまま3m流された。ほんの一瞬だったが一物どころか肝を冷やした。私より後から降りている木下さんはまだ姿が見えなかった。なんとか起き上がれたからよかったもののうつ伏せのままでいたら危なかった。この後慎重に渡渉を5回ぐらい繰り返してやっと水力発電の設備についた。14時20分である。そして少し休憩をして濡れたベストをしまい、雨も降っていたので保温のため雨具を上から着た。ここからは広い道になっているので心配はない。バス停まで普通に歩いて2時間と少しだ。カメラを出してクマまたは鹿やエゾリスがいたら撮ろうと思って歩いた。残念なのはエゾリスが出てきたが写真を撮れなかったことだ。リスは昼行性なので撮る機会はある。後方羊蹄山でもリスは現れた。3回シャッターを切ったが残念ながら写ってなかった。茶色と黒の縞模様が美しいリスだ。16時45分バス停着、中島さんがいてあまり早く降りたことを後悔していた。2時間以上バス待ちだったらしい。私たちより5分遅れて大西さんら3人組が降りてきた。幌尻山荘宿泊予定だったがバスが来ないこともあるので急いで降りてきたと言う。頂上も極めた時ほんの一瞬晴れ間があったとそれよりも熊に遭遇したことを喋ってくれた。登山道そばに熊が現れどいてくれないものだから睨めっこをしたと言う。熊はにらめっこに飽きてそれとなくどっかに行ってくれたと。バスの中ではその話が持ちきりになって、熊への対処の仕方などそれぞれ話し合った。また熊とにらめっこしている時の写真も携帯で撮っていて見せてくれた。30mぐらいしか離れていなかったと言う。
バスを降りたところの小屋は重宝した。ここはあぶが多い。刺されてもそんなに痛くないが無茶苦茶あぶが多く首筋や顔手の甲と肌が出ているところに全てに喰らい付いてくる。登山準備に都合が良い小屋だ。歩き始めてから1時間して朝食をとり、さらに少し歩くと北海道電力の取水装置があった。河川名は額平川、水力発電利用で1,00m3/sだ。1秒間にお風呂一杯分の量でそんな多いとは思えない。ということはそんなに水量があるという川でもないのだ。8時30分から渡渉開始、額平川に流れ込む支流を超えて行くと今度は額平川本流の渡渉が始まった。膝までの浅い場所もあった。ところが石を伝い歩くと言った渡渉でなく、腰まで浸からねばならない渡渉があるのだ。この道は間違っているのではないか、しかしその先に見えるピンクのテープを見るとその轟々流れている場所を通らねばいけないのだ。最初はビビってなんとか巻くことも考えたが、そんなことは労力の無駄だと気づいた時、バシャバシャと水に入って行くことに躊躇しないようになった。一番ビビったのは鎖場でそれも水面から50cmぐらいのところに鎖があったのだ。これは増水しているので腰まで浸かって行くことが要求されているのに、無理に窮屈な姿勢のまま渡ろうとして足を滑らしてしまった。水の中に一物も濡らしてしまった。こうなるともう水の中に入るのが怖くなくなった。16回の渡渉のうち腰まで浸かったのは2箇所あった。16回の渡渉が終わると普通の山道になり、高度を稼いで行く。幌尻山荘の手前まで来た時バスで一緒だった中島さんが降りてきた。なんでこんな早く下山するのか聞くと「携帯の登山天気では雨が早くなっている。明日はバスが来ないかも」という。雨は小雨ではあるがしっかりと降ってきている。幌尻山荘についたのは11時過ぎ休憩を除いて5時間20分かかっている。幌尻山荘で山小屋主人に宿泊の手続きをしながら15回の渡渉とガイドブックに書いてあるが16回渡渉したというといつも同じ数ではない、雨によって流れが変わるし、テープが全て正しいわけではない。雨の量によって流れが変わるのは当たり前のことだという。山小屋の物干しには地下足袋・カヌーの時のゴムのシューズが干されている。このグループはすでに幌尻岳に向かっていた。山荘はバイオトイレが設置されていてこの利用料が1000円余分にいった。ボンベは無償提供されて宿泊者は全て自炊で賄うことになっている。雨はしっかりと降っている。山小屋の主人が明日は「バスが来ないかもしれない」という。お客さんはもう一泊する気なら泊まるのが良いが、そうでなければ今日降りるのがベターだ」という。そこへ今井さんが「命の水」より降りてきた。雲海で全く見えない。頂上へ登るのを諦めたという。
8月1日朝4時出発であるが、早い人は2時ごろから起きて支度をしている。3時になって大方の人が起きて支度をし始めた。私は疲れていたので3時30分に起きた。すでに他の人はしっかり用意している。みんな40リットル以上のリュックを用意している。ちょっとオーバーだなと思いつつ私は30リットルのリュックだった。聞くと携帯コンロや地下足袋、替えの登山パンツを用意していると言う。ある人はビバーク用のテントも持参という。そんな大袈裟な装備がいるのだろうか。やがてバスがやってきた。みんな往復4000円のバス券を買う。バスの乗客は全部で10人だった。私と同じぐらいの年齢の人が3人いた。その人たちも40リットルのザックだ。薄明かりの中バスは出発した。30分経った時に前方にクマが現れたバスの進行方向というか目の前をバスと同じようなスピードで走る。小熊だ。体が小さく色もそれほど濃くない。結構長い時間およそ20秒ほどバスを先導して走ってくれた。そして藪の中に入ったが、ちょこんと不思議そうな目で私たちを見送ってくれた。すごく可愛かった。バスは4時50分水力発電所前についた。若い登山者は勇んで飛び出していった。みんなクマ除けの鈴をつけていた。その中で一人蚊取り線香のようなものをつけている人がいたのでそれが何か聞いた。するとクマ除けの線香だという。インターネットで見たらしい。またある人は大きな草鞋を編んだものをリュックのサイドにつけていた。どこで買ったのか聞くと、インターネットに作り方が出ていたので自分で作ってみたという。幌尻岳を征服するのに用意周到に準備してきている。そして車内で友達になった中島さんは本日の天気予報について解説してくれる。本日の昼から雨、増水した場合幌尻山荘からの沢下りは危険極まりないという。そしてまた増水した場合バスが来ない恐れもあるという。私は全くそれらのことに無知すぎた。
蝦夷富士小屋に戻って身支度を整え、タクシーをよんだ。昨日使ったタクシー会社はすぐにきてくれた。なぜかタクシーの運転手はいろいろなことを喋ってくれる。ここはニセコが近いのでスキーのゲレンデやモーグル、スノーボートの練習場などがある。スノボーの選手などは道を飛び越えて練習する。あるとき電線に引っかかった選手がいたと言う。やりすぎだ。でもこう言う練習したやつが日本代表として出て行くんだ。フェアプレイなんてないよね。と私に話しかけてくるが、あまり実感が湧かない。うじゃうじゃ喋っている間に倶知安駅についた。ここから苫小牧の一つ手前の沼ノ端に行き、レンタカーを借りた。借りた理由は沼ノ端駅まで送迎がついているからだった。ここから豊糠荘までナビに入れて向かった。ナビはすぐ高速道路に入るようになっており、私はできることなら高速を使わずに行きたいと思った。しかし日高自動車道は沼ノ端東から日高富川までは無料なのである。そこから237号線に入り、平取町へ向かう。もう真っ暗だ。この道は富良野へ向かう道だ。二風谷を過ぎて振内から638号線に入る。8時を回った。ここまで60kmのスピードで来ていた。ところが目の前にびっくりするほど大きな鹿が2頭現れた。もう少しでぶつかるところだった。体高は車の屋根に届くぐらいある。エゾシカだ。やはり北海道だ。車のスピードを40kmに抑えて走る。するとまたもや鹿に出会った。今度は斑点があるから小鹿だ。それからほんのしばらく行くと豊糠山荘についた。午後8時30分である。廃校になった小学校を改装した山荘だ。中に入ると全く静かだ。この時間だからみんなミーティングルームに集まってビール片手に喋っていると思われたが全くその気配がなかった。ただ一人だけ汚れた洗濯物を洗濯していて起きていた人がいた。管理人は後から来てくれた。所定の手続きが済むと宿泊1の部屋の空いているベッドを使えと言い、みんなもう寝ているからミーティングルームで明日の準備をしろと言う。宿泊1の部屋は2段ベッドが8台おかれ、下段部分は全て埋まっていた。洗濯をしている人は明日みんな朝が早いから寝ているのだと言う。明日の朝一番のバスはこの山荘を4時にでる。私も急いで明日の用意をして9時30分にベットに潜り込んだ。
ウポポイ見学の後幌尻岳の登山が地理的に近くていいのだが、とよぬか山荘が31日に取れなかった事により、後方羊蹄山を先に登る事になった。最寄りの駅は惧知安で札幌小樽を経由して約4時間で16:34に着いた。道南バスの停留所に向かう。行先の違うバスがあったので運転手に後方羊蹄山前に行くバスはここから出るのか聞くと間違いないが18時すぎだと言う。インターネットで調べてきたら43分にあるはずになっている。「お客さんコロナでダイヤが変わっている」と言われ、仕方ないのでニセコバスに聞いてみるとそちらの方へ行く路線バスは今はないと言う。コロナからいろいろなところで減便や廃止されているのは仕方ないが、北海道は広いのでタクシーを使うと結構高い料金が取られる。今まで北海道に来てタクシーを利用しないことはなかったが、できることなら安い交通機関を利用したい。予算の中の予備費はお土産などに使いたいが、ここのところタクシー代金で予算以上に使っている。残念ながら今回も蝦夷富士小屋までタクシーを利用した。夕食は午後7時までに済ませた。それから明日の登山準備をして寝たのは午後8っ時を回ったところだった。
31日(日)蝦夷富士小屋御前4時出発。5時小休止、気候は涼しいにもかかわらず汗びっしょりかいた。登山届けの場所にすでに御前2時n登っている登山者がいた。6時小休止、7時15分朝食、焦げ茶色と薄茶色の縞模様のリスを見る。7時30分に2時に登った登山者が降りてきた。なぜ2時なのか聞くとご来光を拝みに行ったと言う。結果はダメだったと言うことだった。小雨そして霧が濃い、8時30分に8合目、9時45分 9合目時間がかかり過ぎているが霧が濃いため慎重になる。ここから先濃い霧と風が猛烈に強くなる。全く視界が効かない。地図で確かめようもない。10時10分頂上までもう少しのところにいる。ケルンを積んであるところで2人組の女性の登山者が霧の中から現れる。「頂上まではすごく近いが、初めてこられたなら、危ないかも」と私の白髪を見て言う。私も頂上を極めたいから誰か登山者がいたら着いていこうと思っていた。しかし下山者はいたが登る人はいない。5分ほど待機したが霧が晴れる気配はなかった。10分すると3人組の登山者が下山をしてきたのでその方の後を歩いて下山する事にした。10時20分の下山開始だ。自分の今までの山登りでこんな早い下山はない。14時10分に蝦夷富士小屋についた。
晴れていればお花畑かも エゾリンドウ・ゴゼンタチバナ・エゾノキリンソウ
ウポポイ(民族共生象徴空間)は2020年8月に羅臼岳に登った時に北海道で盛んに宣伝されていたのでアイヌ民族の博物館ができたらいつか行きたいと思っていたものだった。 場所は白老で苫小牧駅から5つ目の駅で特急列車すずらんも止まる。新千歳空港から40分から1時間以内で行ける。普通列車は苫小牧での接続に時間がかかり、1時間20分ぐらいだ。白老の駅を降りてから線路沿いに苫小牧のほうに向かい、約7分で到着する。開館は9時で入場料は大人1200円だ。人気がある博物館で園内の施設はインターネットで上演時間をあらかじめ予約することができる。私は7月29日(金)に白老に泊まり7月30日(土)に訪れた。泊まったハクホステルで泊まり客から昼からだと観光客がドット押し寄せるので開館と同時ならまだいっぱいにならないからいろいろな施設での記録映画の上映や演劇、体験教室、踊りを見るっことができると言われ、9時の開館と同時に入場した。まだ20人ぐらいだったので国立アイヌ民族博物館でアイヌの先史時代からの歴史、松前藩との戦争、松前藩雇われ商人との抗争などビデオで見た。その後アイヌの人の生活、宗教、熊送りの時に使う道具、民族楽器、狩猟道具、衣服、丸木舟などの展示を見た。それが済むと体験交流ホールでの舞踏の予約を取り、時間が車で丸木舟の浜から川へ出て行く時の儀式やアイヌの昔にの家屋(チセ)を見て回った。体験交流ホールでは女性2人によるウポポ(座り歌)サルルンカムイ リムセ(鶴の踊り)ク リムぜ(弓の踊り)イヨマンテリムセ(熊の霊送りの踊り)トンコリ(弦楽器)の演奏、体験教室では実際に弓矢を使って的に当てる講習、オヒョウの皮を使った機織り教室、アイヌ紋様の彫刻などあった。私は時間がなかったので体験教室はパスした。特別展ではアイヌ語研究にかけた熱意として、知里真志保(北海道大学教授)のアイヌ語の辞典やアイヌの口承文芸、アイヌ文化研究、金田一京助との出会いなど紹介していた。全部見て回ろうとすると6時間ぐらいいるだろう。
降りはかなり急だったが、昨日足がつったところはあまり痛みを感ぜずに降りれたが、雨のせいもあって道がよく滑った。雨具はつけているがベストは上からの雨と体内の熱が発散できないため汗とでぐしゃぐしゃになっていた。寒くないから着替えないで済むものをこれが気温が低かったら風邪をひいてしまいそうである。着替えはまだシャツが2枚残っていた。沼尻休憩所には14時35分に到着普通のコースタイムより、45分遅れていた。沼尻休憩所で小休止、雨で休憩所は閉っている。かたわれ田代からの登山客2名に出会った。傘をさしている。木道なのでこの激しい雨にはいいのかもしれないが滑った時は重心を失うかもしれない。私はレインコートのままで尾瀬沼山荘へ向かった。木道の新しいものは令和3年に付け替えられている。それにはスリップを止める棧がつけられていない。新しいから滑りやすい。尾瀬沼山荘までの間で4回転んだが、そのうち3回は新しい木道によるものだった。時間が過ぎて行くわりには距離が伸びない。一ノ瀬休憩所から出るバスは16:30が最終だったがこれには間に合いそうにない。16:10尾瀬沼山荘着、これでは一ノ瀬休憩所に到底間に合いそうもない。尾瀬沼山荘のテラスで沼田駅のタクシー会社に電話した。運賃は約2万3千円とのことだが、18時までに沼田駅まで戻れるかは保証できないと言う。となると本日中には堺に戻れない。そこで尾瀬沼山荘か国民宿舎尾瀬ヒュッテに泊まるしかない。幸いなことに尾瀬沼山荘は相部屋でよければ泊まれると言う。しかも一泊2食で9500円だった。早速泊まる手続きをして濡れた衣類を乾かすために地下の乾燥室に靴、手袋、上衣、ズボン、レインコート、ベストを入れて乾かす。食事は急なのでカレーで約40分おくれでと言うことだった。皆さんが食事をしている間に風呂を進められた。山荘なのに風呂があるのだ。ありがたかった。この風呂で冷えた体を温めた。夕食はたっぷりのカレーライスだった。600円のビールが欲しかったが、まだ何か出費があるといけないのでジュースで我慢した。
7月18日朝ご飯をしっかり食べた。7:50に山荘を立ち、一ノ瀬休憩所9:30のバスで帰路に着いた。
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