当初草津白根山に登る予定で計画を立てていたが白根山の登山口に行くバスが運休している。そこでなぜ運休しているのか聞くと警戒レベルが2に引き上げられたという。警戒レベルが引き上げられても安全圏なところまでは登山できるのか、これを嬬恋村役場に聞くと登山はしないほうが良いという。白根山・本白根山とも火口から1km以内は危険地域、500m以内は立ち入り禁止となっている。そこで南にある四阿山(あずまやま)に登山することに決めた。四阿と書いてあずまやと読む。四阿の意味については日本百名山の四阿山で深田久弥が[山の形があずまや(四方の柱だけで壁がなく、四方ふき下ろしの屋根の小屋。庭園などの休息所とする。)の屋根に似ているところからその名が由来したと言える。とのことらしい。四阿山の登山口は菅平だ。ここはスキー場として有名だ。私も学生時代信州にスキーに出かけたが菅平は一度も行ったことがなかった。急行ちくま号が大阪から長野まで夜行列車で走っていた時代だ。新幹線で名古屋まで行き、そこから特急しなのに乗るにはお金がかかりすぎたときに急行料金で長野まで行ける気動車の特急は魅力があった。野沢温泉や志賀高原はスキーのメッカだった。これものちにスキーバスに取って代わられることになる。ちくまは2005年ごろに引退した。今菅平に行くには新幹線で名古屋に行き、特急しなので篠ノ井駅まで行きそこからしなの鉄道(かってはJR )に乗り換え上田まで行きそこから上田バスで菅平まで行くというルートだ。菅平で四阿山近くに位置する宿をインターネットで調べたがなかなか出てこなかった。最後に高原野菜収穫のアクティビティがある宿がヒットしたのでそこに決めた。名前は「ウッドラフ」で上田バスで菅平高原行きに乗り、郵便局前で下車、迎えの車があるという。歩いて行くというと30分ぐらいかかるという。そこで迎えにきてもらうことにした。堺から満員電車で大阪に行き、新幹線で名古屋そして特急しなのに乗り継いだ、いつもは早朝出発であるが早朝も堺7時50分発も同じ時間に菅平に着く時刻は一緒だった。塩尻で約5分遅れが出た。篠ノ井駅での乗り継ぎは5分しかない。気が焦った。篠ノ井到着は4分遅れだった。ホームに降りると急いで3番線ホームに走った。ホームに着くと赤い列車が右方向から来るのが見えた。
鳩待峠で確認したのだが14時15分発の戸倉行きしか上毛高原駅に行かない。15時15分発のバスは沼田駅までしか行かない。このバスで沼田駅まで行き、そこから高崎駅上越新幹線乗車というスケジュールだったが、至仏山頂上に着いた時が12時20分だったので諦めた。雨が降っていたのと想像以上に蛇紋岩という岩が滑るからだ。慌てて捻挫でもしたらもっと遅くなってしまう。小至仏山までは大きな石がゴロゴロとあり、時間がかかってしまったが、そこから悪沢岳までは比較的楽に降りてこられた。雨は全く止みそうもなく、ふり続いていたが、風があまりなかったので足元だけ注意すればよかった。悪沢岳を過ぎると霧も少しづつ晴れてやがて木道が出てきて歩きやすくなってきた。でも15時15分のバスには間に合わない。となると16時25分のバスで沼田駅それから高崎駅で新幹線乗車になる。今日は東京かあるいは名古屋で一泊しなければならないのか。そんなことを想像しながら歩いた。16時25分発の鳩待峠発のバスには私を含めて7人の乗客がいた。三人組の登山者で至仏山から降りてきた人達と夫婦で尾瀬ヶ原を散策してきた人、後は鳩待峠の山荘からの人だった。夫婦は山の鼻山荘に泊まっていて尾瀬を少しだけ歩いたという。そこであの夫婦と小学生2人、4歳の子供は今頃どの辺まで降りたのだろうかと思い出した。今日は鳩待山荘止まりだろうなと、夫婦は昨日ビジターセンターで尾瀬の紹介をしていたのは聞きにこなかったらしい。とてもいい話だったので残念でしたねと言い、昨日職員が話されたツキノワグマがいるから尾瀬の景観は守られたという話をすると喜んでくれた。ついで燧ヶ岳と至仏山の違いを説明すると興味深く聞いてくれた。戸倉までの約35分間喋りっぱなしだった。ついで戸倉から沼田駅に向かった。約1時間20分のバス乗車だった。このバスは7月17日にも乗ったが、もっと早い時間である。バス乗車中も雨は降り続いていた。沼田駅に着いたのは18時37分で次の高崎行きが出るのは19時2分だった。駅前のコンビニでビールと夕食を買い、沼田駅で上毛高原からはバスの都合で乗れなかったことを言うと上毛高原と高崎駅との間の特急券の払い戻しがあり、240円戻ってきた。これでビールの当ての茹で枝豆を買った。高崎駅で「あさま630号」東京行きに乗った。車中で予備のTシャツと半ズボンに着替えた。20時52分東京着で21時3分発の「のぞみ261号」に乗れて23時27分に新大阪に着いた。家に着いた時は21日の午前0時45分だった。
赤城牛ふりかけ 尾瀬のマスコット
尾瀬ヶ原散策を終えて山の鼻に戻ってきた。ここで公衆トイレを使う。尾瀬ヶ原に汚水を流さない為いろいろな装置を便器の下に設置しているので1m20cm上がったところにトイレがある。装置の維持に協力金を入れる箱があったので小便100円で協力する。至仏山へ登る木道を歩いていると大きな爆竹の音がした。向こうから山の鼻ビジターセンターの職員が歩いてくる。熊が出たのかを聞くと熊がいるらしい、音で追い払っているのだという。やがて至仏山の登りにかかる。木々が茂った中を歩く。やがて木々の背も低くなり、ハイマツが現れた。8合目付近だろうかここが森林の限界らしい。割と緩やかな登りなのであるがなかなか頂上が見えてこない。11時20分小休止をとる。霧が濃くかかり、視界は10mぐらいだ。30分経つと霧雨から小雨になってきた。ついに雨具を着用する。蛇紋岩の山というのがよくわかる。小さな岩は浮石の危険もあるので大きな岩に足をかけるがスリップする。12時35分頂上に到着。頂上は狭いが一つだけベンチがあった。そこで昼食をとっているグループもあった。私も腹が減っていたので早速カップヌードルとベーコンを食べる。雨が収まらないので玄米ブランは食べずに頂上を経つ。そこへ子供3人の夫婦の登山者が上がってきた。先に道を譲るとなかなか下りが厳しいようだ。一番小さい子供は4歳であとは小学生だという。大きな岩を通り抜けようとしても大人のように大股で通り越すことができないのだ。辛抱できずに私は先をいかせてもらった。鳩待峠には16時20分までに降りなければならないという。私もそうだが、予定では15時30分に降りれると見込んでいる。小至仏山(2162m)までは大きな岩を通り抜けるのにかなり時間がかかった。昭文社の地図帳には所要時間が35分と書かれていたが、55分もかかってしまった。蛇紋岩は滑りやすくここで2回も滑った。手をついただけで転ぶまでではなかったが時間を食ってしまった。それと寒くなってきているので下着をヒートテックの下着に変える。これで下りのコンディッションはよくなった。14時30分鳩待峠まで2,9kmの標識ヤマアカガエルだと思う、耳の後ろに菱形の紋があるのに出くわす。写真を撮ろうと思ったら逃げられた。この間二人の登山者と会う。下りは今のところ誰にも追い越されてはいない。みんな雨でよく滑る蛇紋岩に足を取られているのかも、14時35分あと1kmの標識を通過。雨は相変わらず降り続けている。15時53分に鳩待峠に着いた。戸倉までのバスのj時刻を確認する。16時25分発で時間があった。ここでソフトクリームを食べる。うまい。ついで土産物屋で「尾瀬の雫」という清酒や野沢菜しぐれや蒟蒻の味噌漬け、玉こんにゃくを買う。いつもながら出発の時よりリュックの重量はかなり増えている。
尾瀬ヶ原から東に燧ヶ岳、西に至仏山があるが二つの山は全く違う。至仏山は蛇紋岩の山で岩石の中に非常に細かい気泡があり雨が降るとその気泡が水で満たされ非常に滑りやすくなるという。登山天気の夜と明日は午前中から雨だった。職員は至仏山の紹介を面白く言ってくれた。フーフーフーやっと登った至仏山で2228mですと。でも雨の日は本当に注意してくださいという。至仏山は山の鼻からは上り専用になっている。高山植物の保護のためだ。また登山は7月1日から解禁され、それまでは山の鼻から至仏山山頂までのコースは登山できない。約40分の話だが結構面白くためになった。宿に帰って消灯が8時30分だから明日の支度をいろいろする。そして今日ビジターセンターで聞いたことをちょっとメモを取ってみた。それと鳩待峠から山の鼻までの木道で出会った歩荷のことを記した。彼らは80kg担ぐそうである。1日2往復、多い時で3往復するらしい。繁忙期では一ヶ月で100万円にもなる人もいるという。
8月20日朝の朝食は6時からだったがすでに10分前に放送があり、ほとんどの人が食堂に来た。ご飯・味噌汁・納豆の定番と山菜のおかずがついた。そして30分には尾瀬ロッジを出た。本日は逆さひじりの溏池そして牛首、龍宮十字路まで行って8時ごろにはまた尾瀬ロッジに帰ってきてそれから至仏山登山をする予定だ。尾瀬ロッジからの木道は北東方向に敷かれている。上の大堀川の手前に逆さひじりが見える溏池があった。しかしひじりは映っていなかった。曇りだから火がささないと写らないのかもしれない。そこから牛首分岐に出る。7時を回っていた。時間が早いが訪問者は多い。どちらかと言えば女性の方が多いのではないか、木道の通行は右側通行になっている。途中熊よけのベルや鐘が設置されていて、時々誰かが鳴らす音が尾瀬ヶ原に響いた。竜宮尻まで行って引きかえす。竜宮現象が見られると地図には書かれているが何のことかわからなかった。帰りながら南の方に目をやる。誰かがドローンを飛ばして調査をしているようだ。再び逆さひじりの溏池まで来るとなんと燧ヶ岳が写っているではないか、早速写真に収める。木道の左右の木が渡されている間の幅は約40cm弱だ。その間のところへ水芭蕉があったりあるいはねざさが蔓延っているところもあった。いづれねざさが勝つのだろうか
かねてより尾瀬ヶ原から見える燧ヶ岳と至仏山に登ってみたいと思っていた。燧ヶ岳は7月17日に登頂本来はその後至仏山に登る予定だったが尾瀬ヶ原のどこの小屋も満杯で結局8月に入ってからしか宿が取れなかった。今回は至仏山だけの登山だ。8月19日大阪からは上毛高原駅までなら午前中に着く。そこから関越交通で鳩待峠まで行く。戸倉経由で約2時間半かかる。ここから木道を歩いて約1時間で尾瀬ロッジに着いた。ここには山の鼻ビジターセンターがあり、尾瀬の成り立ちや、生息する生物、植物、哺乳動物の紹介がある。私は尾瀬ロッジにリュックを下ろすと、早速このビジターセンターをおとづれた。入館は無料である。哺乳類ではツキノワグマが生息する。至仏山の組成は蛇紋岩ということで海底からの隆起による山、燧ヶ岳は火成岩で比較的新しい年代の火山だ。木道は檜枝岐村で育ったカラ松を使用していることや、尾瀬ヶ原の木道の費用は福島県、群馬県、新潟県、栃木県がその面積に応じて分担していることなど、木道1本は4m*0,5mだ。全長は63kmになる。この後尾瀬ヶ原を夕食まで1時間散策した。快晴で空にふんわり雲が浮かぶ景色は「夏が来れば思い出す・・・・遥かな尾瀬遠い空」の歌詞をそのまま当てはめたような感じだ。ただ少し違うのは「水芭蕉が咲いてる夢見て咲いている水のほとり」がこの時期は水芭蕉も咲いてなく、その実もない。夕食は午後5時からでその前に15分だけ風呂に入った。環境への配慮で石鹸やシャンプーは使えない。ただ汗を流すのみの入浴だった。夕食は豪華だった。牛肉の陶版焼が出てくる。肉もかなり分厚い。ビール500ml片手に存分味わった。そこへ山の鼻ビジターセンターの職員が6時から約40分尾瀬についての映像とお話をするのでぜひきてくださいと宣伝に来た。彼らは至仏山荘、山の鼻小屋、尾瀬ロッジの3箇所を回っているのだ。映像は尾瀬の四季を流してくれた。冬の景色もまた素晴らしい。その後、尾瀬についての話になった。尾瀬はツキノワグマが出没するので注意するように言われた。今の時期は少ないが水芭蕉が実をつけているときに実を食べに来るという。尾瀬はツキノワグマでこの湿原が守られているという。もしツキノワグマが食べてフンをあちこちに落とさなかったら、実はずっと下流に流れていって下流が水芭蕉の繁殖地になっていたのではないかと、センターの職員は推測を話した。尾瀬はツキノワグマでなっている。初耳だが納得してしまう。