標記の大会が堺市の金岡体育館で1554名の参加を得て行われました。形競技・組み手競技に幼児から一般の部まで9コートに分かれ熱戦を繰り広げました。所属団体で大学は14校、高校は5校 中学校は2校 空手道場は76団体に及びました。今回の大会の特徴は形競技においてそれぞれ演舞される競技者が洗練された技を持って緩急を付けた演舞が素晴らしい物でした。又組み手競技では小学生高学年
男子は4年生が85名・5年生が70名 6年生が60名参加しました。大学生は近年国公立の選手がいい成績を納めています。今大会で勝ち上がるのはかなりハードルが高い大会になりました。表彰は優勝・準優勝・3位が2名・優秀賞が4名です。
開会式
形競技
組み手競技
組み手競技
表彰
男子は4年生が85名・5年生が70名 6年生が60名参加しました。大学生は近年国公立の選手がいい成績を納めています。今大会で勝ち上がるのはかなりハードルが高い大会になりました。表彰は優勝・準優勝・3位が2名・優秀賞が4名です。
開会式
形競技
組み手競技
組み手競技
表彰
生野銀山は江戸時代幾多の変遷を経て明治に入るのである。維新政府はこれを直接政府の物とし、慶応4年フランス人コワニーを招聘し、朝倉盛明とともに近代的建設と創業を担任せしめた。明治2年10月から明治18年6月までの生産額を工務省沿革報告によると金1,027Kg 銀12,638Kgである。その後宮内省の管轄になった。明治29年に大転換と言うべき鉱山が民営になった。入札の結果三菱合資会社が落札。以後昭和48年に閉山するまで操業した。
明治時代の坑夫
鉱脈の測量風景
エレベーターの巻き上げ機
鉱毒を濾過している池 48年に閉山後45年も経っている
明治時代の坑夫
鉱脈の測量風景
エレベーターの巻き上げ機
鉱毒を濾過している池 48年に閉山後45年も経っている
生野銀山は開坑が大同2年(807年)と伝えられるが定かでない。室町時代にいたって山名祐豊が進出(天文11年1542年)その後銀山経営は信長秀吉最後に徳川の手に落ちるのである。江戸時代元和8年には1ヶ月に5〜6千荷も出したと言う。1荷は鉱石1斗2升で含銀量が20〜30匁であった。しかし慶安頃には一時衰退する。加えて吹屋(精錬業者)の一軒から出火し、坑内配水に従事する樋引き(坑夫2〜3千人)の住居が失われるという災難があった。
右のあかりは菜種油 ろうそくはすすが出るので用いられなかった
明治時代の坑夫
坑道の柱は水に強い材が使われた。松や檜
立っているのは明治以降
明治時代 削岩機や電動の掘り機が使われた。
右のあかりは菜種油 ろうそくはすすが出るので用いられなかった
明治時代の坑夫
坑道の柱は水に強い材が使われた。松や檜
立っているのは明治以降
明治時代 削岩機や電動の掘り機が使われた。
生野銀山と武田城の中間に竹田屋という但馬牛のしゃぶしゃぶを出す店がある。そこで昼食をいただいた。ここのロース肉はおいしかった。腹ごしらえ後、生野銀山に向かう。ここは専門のガイドがいて詳しく銀山に付いて解説してくれた。
竹田屋 但馬牛のしゃぶしゃぶ
生野銀山と書かれたシャツを来ているのがガイド
昔江戸時代に掘られた坑道の入り口 立って入る事は出来ない
坑道へ空気を送る装置 籾等を飛ばす農機具が使われている
竹田屋 但馬牛のしゃぶしゃぶ
生野銀山と書かれたシャツを来ているのがガイド
昔江戸時代に掘られた坑道の入り口 立って入る事は出来ない
坑道へ空気を送る装置 籾等を飛ばす農機具が使われている
6月9日(土)に北野病院パンジーの会で兵庫県多可町(西脇市の北側)の杉原谷で紙すき体験をまた武田城(天空の城)の向かい側にある生野銀山で坑道をガイドの説明を聞きながら入坑体験しました。杉原紙は奈良時代から紙の優れた生産技術を持ち、大正期まで続きましたが、西洋紙の普及や機械漉き技術の発展で手漉き和紙の歴史を閉じました。原材料は楮(こうぞ)で秋に刈り取り真冬の寒い時に川の水に晒し、釜ゆで、、不純物の取り除き、そして最後の行程の紙すきになります。
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杉原紙の里の案内板
楮のカワを剥いて冷水で晒す
紙すき体験館
色付け
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杉原紙の里の案内板
楮のカワを剥いて冷水で晒す
紙すき体験館
色付け
ナラ枯れ被害が北海道を除く31都府県で確認されてきました。私が住む堺市の南部丘陵もナラがれが発生していますが、6月8日に地権者の了解を得てコナラにカシナガホイホイ幅1m 高さ30cm(アース製薬)を取り付けました。環境コンサルタントの中村氏の指導のもと野口、西口、私と写真撮影は酒井が担当。堺市の南部の鉢塚のバス停から凡そ200mのところにあるコナラ2本に1枚目は接着面を外向きにカシノナガキクイムシが飛んでくるのを捕らまえるため、2枚目は既にカシノナガキクイムシがコナラに入っている木に接着面を内側にして出て来るのを捕らまえるため取り付けました。