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石狩挽歌 続

2019年08月20日
「いまじゃ浜辺で オンボロロ オンボロボロロ
沖を通るは笠戸丸 わたしゃ涙で ニシン曇りの 空を見る」
この歌はなかにし礼作詞、作曲浜圭介 歌北原ミレイだ。笠戸丸は終戦の8月9日ロシアの手で撃沈させられている。この歌の作詞が1970年頃だから笠戸丸は空想の産物だ。このときの状況は「北のカナリヤ」吉永小百合主演の中で少し再現されている。笠戸丸といえばブラジル移民船として有名であった。第1回の移民は1908年に781名を乗せて神戸港から出てサントス港に入港。
さて運転手との話は続く、「今年は珍しいことが起こった」と言う。
クキ(地元の言葉か)が起こったと言う。鰊が子供を産むために集まってそこにオスが精子を放出する現象、これが稚内と利尻で見られた。やく40年ぶりという。今年の鰊漁は期待出来そうだと。
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小ちゃくなるまで別れを惜しむ
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番屋

石狩挽歌

2019年08月19日
桃岩荘の朝は早い。桃岩荘時間の6時だが実際は5時30分だ。スピーカーから思っ切り大きな石狩挽歌が流れる。寝ていられない。ほとんどの方が起きてくる。朝が開けるのが早いのだ。シーツなど折り畳んで受付に持っていく。朝食はなんとご飯だ。桃岩荘前の海ではアザラシが来たと言って数人が浜に降りた。鼻先だけしか分からなかったがアザラシだった。帰りはフェリー乗り場まで送ってくれて最期米粒ぐらいに見得るまで送ってくれたら。感激する。フェリーは稚内に到着すると稚内空港までの乗り継ぎのバスはすでにでているのでタクシーに乗らねばならない。私は舷門近くにいて、フェリーが到着するとすぐにタクシー乗り場に急行しようとした。しかし実際にタクシーに乗る人は少なく、団体客は迎えのバスが来ていた。タクシーに乗り、運転手にどの位時間が掛かるか聞くとおよそ30分金額は4000円弱だと言う。それで運転手といろいろ話をした。彼の前の職業はニシン漁師でソ連が北方領土を実効支配し始めた1955年ごろに漁師をやめた。ニシン漁というのは網を沖合に仕掛けて早朝に引き上げに行くのだという。排他的経済水域で船を降りなければならなかった人は多い。鰊漁の最盛期には稚内には60隻の鰊漁の漁船があり、稚内の町はニシンの匂いがしたという。今は鰊漁の船はわずか6隻だという。そこで私は石狩挽歌の歌詞を解説してもらった。「ゴメが鳴くからニシンが来ると赤いつっぽのヤン衆が騒ぐ」、ゴメはウミネコでつっぽは半纏のようなもの、やん衆は富山・新潟からの出稼ぎ労働者の総称で男女の区別はない。「雪に埋もれた番屋の隅でわたしゃ夜通し飯を炊く」、番屋は漁師が寝泊まりするところでもあるし、ニシンの加工も行なっていた。夜通し飯を炊くのは、漁師の飯の時間や、加工場の人びとのメシの時間が一定していない。「あれから鰊はどこへ言ったやら、破れた網はトイ刺し網か」鰊は乱獲で確かに減ったが、排他的経済水域のため、遠くへはでられなくなって、漁獲量は激減した。
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礼文島香深港で見送りを受ける
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礼文島を背景に
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稚内空港 白いタクシーの前の黒いタクシーの運転手と話をする
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北海道土産 最近北菓楼のバームクーヘンが人気