ハッピーハロウィンを祝うために衣装を作りました。黒いジャージにスケルトンを貼り付け、背面は月夜にコーモリを5頭飛ばしました。タイツも同様にスケルトンに、お面は100円均一で買い、黒い色のスカーフを巻き付けました。釣り竿の古くなったのに銀色の鎌をつけ、毒蜘蛛の巣と骸骨の袋をつけました。
もう10年も前の話ですが2013年に風力発電機を作りました。この写真は大泉緑地(堺)で実際に運転していたものです。6枚羽根で風を受けやすいようにしています。堺は風があまり吹きません。年間平均風速が2m 〜3mです。大泉緑地は周りに風を遮るものがなく、高さ5mのところでは常時回っていましたが出力電力はせいぜい10wでした。LEDの照明にしか使えなかったです。この風車は2014年の2月ごろに吹いた突風のため羽根が吹き飛んでしまいました。2日間かけて飛ばされた風車の羽根を探しましたが見つかりませんでした。
5月ごろから運転 風を受けやすくするためと安定的な風力を得るため2枚の垂直尾翼
今街を歩くと至るところできんもくせいの香りに出会う。私も家にキンモクセイを30年前に植えた。4月の終わり頃大泉緑地で開かれる植木市で1mに満たない金木犀を買ったのが今では5mを超えている。枝葉が隣家の敷地まで伸びて2年に一回刈り込んでいる。30年前には沈丁花も植えたが、これは5年ぐらいで枯れてしまった。何が原因かわからない。今年のように暑くてもまたあまり水をやらなくても生きているし、肥料もやったこともない。つくづくタフな木だと思う。牧野富太郎の植物図鑑を見るとこの木は雌雄異株だそうで日本には雄株ばっかりと書いてあった。
今雨水を1100リットル貯留している。昨日の雨で400Lタンク2台、200Lタンク1台、50Lタンク2台はほぼ満タンになった。タンクは景観を考え簾で巻いて自然な感じにしている。溜まった雨水は強力なポンプで太陽熱温水器200Lに送ってお湯にして風呂で使っている。温水器は65度以上になり、水道水で半分うめて使った。8,9月はほぼ毎日雨水風呂だった。私が開発した雨水利用装置は特許公報に載っているが、下記の書類やCDでも見られる。今考えているのは雨水と一緒のゴミをどう分離するかだ。ネットの下に丸い半円のお椀状のものを吊り下げ、ネット全体でゴミの除去かあるいは丸い半円のお椀状のものの下にネットを吊り下げるかの実験中だ。前者はネットの上部にゴミが溜まる。後者はネットの裾にゴミが溜まる。前者の方がゴミの汚れを拾いやすい。後者はゴミが外側へ弾き出され、分散するので水はゴミの汚れから逃れる。後者の方が有利に思える。
私の特許に関する案内: 株式会社国際技術開発センターから出版された本とCD NO10856 雨水利用システムと装置 平成24年(1年間) 70点情報公報一覧の21番目 雨水利用装置 米道綱夫
除塵装置 球形カップの下 ネットとの僅かな隙間にゴミを貯める
8月17日までの記録
ミニトマト852個
きゅうり 23本
なす 53本
トマト 10個
ジャガイモ46個
玉ねぎ 10個
青しそ葉220枚
その後きゅうりとナスはべと病でほとんど枯れた。なす1本だけ何とか生き残ってこれから多分実をつけるだろう。きゅうりは新たに病気に強い接木きゅうりをうえた。こちらは17本取れたがベト病で枯れた。住友化学園芸のサンボルドーは効かなかった。ピーマンが元気で30個収穫できた。これ以外にへちまが10本できて3本収穫し、へちまたわしを作った。
9月11日5時20分起床 40分朝食 6時50分鳳凰小屋出発 雨が降ってきたので出るのを見合わせていた。皆雨の中レィンコートを着て次々にでていく。右手が使えないので気分が重い。宿の若い人があの紅い梯子を登っていくと1時間して岩稜に着くと言う。8時10分雨がキツくなり、雨具、ザックカバーを装着、岩稜に着いたのは8時50分だった。9時45分観音岳2840mに到着。雨で少し寒いくらいだ。10時35分薬師岳山頂着、女の子二人に会う。彼女らは青木鉱泉に降りるという。風が強い、砂の小粒が吹き飛ばされて雨具に当たる。雨は小降りになってきた。11時15分雨具・ザックカバーを外す。12時30分南御室小屋到着。昼食にうどんとハム、オールレーズンを4枚食べる。南御室小屋は女主人だった。13時10分出発地図のコースタイムを見てこれから夜叉神峠バス停まで約4時間で降りなければならない。かなり厳しい。女主人は無理だったら戻ってきなさいと言ってくれた。右手が使えないとバランスがうまく取れない。下りは怖かった。夜叉神バス停まで4時間10分で降りれるか心配だった。13時55分苺平通過、14時55分杖立峠通過、すぐ後ろから来た若い人に抜かれる。夜叉神峠バス停まで行くと言っていた。16時10分夜叉神峠着この小屋は夏期に営業するそうだが、しまっていた。ここから約40分で夜叉神峠バス停までの看板が出ていた。17時5分夜叉神峠バス停着。私以外に2人の登山者がいた。17時21分定刻通りバスは来た。このバスに遅れると大阪まで帰れない。間に合ってよかった。18時45分甲府着。ここから特急しなのと新幹線を乗り継いで堺に帰れる。まずは特急あずさ45号長野行きで塩尻まで出る事にした。19時34分甲府発、ところが小淵沢駅を通過したところで緊急停車20時20分ごろから30分も停車した。車両点検後異常が認められなかったため出発したが、21時03分塩尻着。この間車内放送で塩尻以遠に行かれる方は駅員に相談くださいという。塩尻駅では10人ほどが改札に並んだ。中には駅員に罵声を浴びせかけているものもいる。なにしろ名古屋へはこれから行く電車がないのだ。普通中津川行きが最終だった。私の切符は明日に切り替えて、この日は近くの中村屋という旅館に泊まる事になった。もちろんJR持ちである。12日早朝に塩尻を立ち、大阪に向かった。痛む右手は午後に整形外科で診てもらうと骨折していた。
白凰峠到着後なぜ道に迷ったのか検証した。白凰峠から広河原へ行く道を少し降ると東側の樹林帯のそばに沿って登山道がある。ゴロゴロした岩場を抜けてそこに到達しなければならなかったのだが、ここはそのような標識がない。白凰峠に戻って昼飯にした。今まで気づかなかったが、手首がかなり痛い。手首に力が入らなかった。11時50分白凰峠出発。13時10分小休止疲れてきた。14時10分小休止。15時30分地蔵岳。薬師岳小屋に電話。観音岳に4時までに到着しない場合は電話をくれということだったので、到底無理と判断電話を入れる。するとその手前の鳳凰小屋に泊まりなさいと勧められる。そこで鳳凰小屋に電話するも圏外になってしまい、連絡つかず。地蔵岳の地蔵佛は高さが18mこれは賽の河原の手前から何回か見えた。お地蔵さんが向かい合っているようにも見えた。賽の河原に着くとこの巨像が素晴らしいオベリスクであると感じられる。賽の河原には石のお地蔵さんが20体以上あった。信仰深い人が持ってきたものだろう。さっき高嶺まで行くと言っていた人が戻ってきた。なぜ行かないのか聞くと霧がでていて道に迷うといけないのでという。そして鳳凰小屋に戻るとも、私は彼の後についていく事にしたが、ペースが早く姿を見失しなってしまった。ざらざらした道を1時間かかって鳳凰小屋についた。早速一晩お世話になると言って、もし夕食が間に合うのだったらお願いしますというと大丈夫ですと言われる。次に梯子から落ちて右手首を負傷しているというと、2階の大人数の部屋でなく一階の6畳の部屋を使わしてくれた。夕食はカレーだった。左手で食べたが、ほとんどがビールで流し込んだ夕食だった。でも満足していた。夕食中向かいで食べていた女性が私湿布藥持っているからあげましょうとロキソニンの湿布をくれた。これで相当痛みが取れて夜はぐっすり眠れた。