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九州旅行4

2021年05月27日

今回の旅行の大きな目的は石木ダム予定地に行くことであった。早朝に福岡の東洋ホテルを出発高速道路を通って長崎道の東そのきインターで降りる。前日に電話していた岩下すみこさんに連絡を取るとそこからすぐという。海辺の道を走り川棚駅を通り過ぎてすぐに川棚川があり、それを山の方向へ入る。川棚川の河口付近は幅が30mぐらいあるが、そこから約2km入った石木川の川幅は5mもあるだろうか?さらに上流に向けて走る。川幅は3mあるかないかぐらいで草で覆われて水面が見えないところもある。

石木川に入るところには「町民の未来を描く石木ダム」石木ダム建設促進川棚町民の会・石木ダム住民の会があり、少し入ったところの民家の塀には「水の底より今の故郷」と「書かれていた。さらに「なぜ造らぬ己が水がめ人だのみ」さらに進むと「ダム建設絶対反対」「ダム絶対反対」の看板があった。やがてブルトーザーの音が聞こえ、ダム予定地に座り込みを続けている人々の姿が目に入ってきた。道路のそばや道路にパイプ椅子が三段に横10列配置されていて、それぞれにかなり老人のおじいさん・おばあさんが座っていた。岩下すみこさんに「皆さん農家のかたですか」と聞くと、そうだという。農作業をやりながら順番でここに座り込みに来ていると言う。なんでかと言うと「県は信用できんと いつ大型の重機を持ち込むかわからん」と座り込みのそばでは西日本建設の従業員が一人見張っていた。そして座り込みをしている場所は県の道路上だと言わんばかりに県職員2名が張り付いていた。

P4050082町民の未来を拓く石木ダム

P4050084[/左)川棚川 石木川への分岐付近

P4050085水位の目盛り 川棚川 川棚駅近くで

P4050086石木ダム建設絶対反対

P4050098水の底より今の故郷

P4050091座り込みをしている場所 農作業を休んできているのだ



九州旅行3

2021年05月03日
吉野ヶ里遺跡を見た後九州国立博物館によった。私と友人は70歳以上ということで入館料は0円。ここは国立博物館の中で最大規模を誇る。館内は撮影禁止のためこれといった写真は撮れていない。ここの博物館の展示のコンセプトは近代以前の文化交流の歴史である。1、縄文人海へ 2稲つくり、国つくり、3遣唐使の時代、4アジアの海はこれ交易 5丸くなった地球近づく西洋となっている。こう言う展示もあるのかと思った。末木の展示などは渡来人たちが堺に住み着き、土師氏と呼ばれて古墳の作成や埴輪、須恵器などを作り」全国津々浦々に伝搬していった。まさに交易だ。遣唐使はいろいろな文化を運んできたし、いろいろな文物もこの時に入って来ている。お茶などはその際たるものだ。続いて南蛮貿易、琉球が中継地点のような働きをしていたこと、近づく西洋はちょっと理解できなかったが、長崎平戸からの西洋文化の押し寄せなど見るものは多い。ただちょっと残念なのは館内が暗いことだ。展示物は十分照明が浴びせられていたが、人の歩くところは暗かった。ところで館内に宣伝のパンフレットがあり、「ムナカタ」は宗像・沖ノ島に行ってみたくなるようなものだ。またインターネットで九州国立博物館の会員登録をすれば過去の資料の概要を知ることができ、またこれからの展示の解説本などが求められるようにしてある。九州国立博物館から太宰府天満宮に回ったが、15分とかからなかった。太宰府天満宮は菅原道真・学問の神様をお祭りしている。実際の太宰府は筑紫野市と太宰府市にまたがる25万4千平方メートル甲子園球場の6,4倍の広さである。令和の年号の元となった梅花の宴は太宰府天満宮で催されたと錯覚している人もいるが、梅花の序は大伴旅人が727年頃着任し、梅花宴は「天平2年正月13日に、帥老(そうろう)の宅(いえ)に萃(あつ)まりて宴会を申(の)ぶ。この帥老が大伴旅人であろう。山上憶良ともいえるが、大伴旅人は無事任務を全うし、京都に返り咲いている。位階も大納言までなっている。左遷されたのは菅原道真だけか?
 さて太宰府天満宮では学問の神様だけあってお守りも学業成就というのが所狭しと並べられていた。私の興味はちょっと違ってここの巫女さんの髪飾りだ。例えば春日大社は藤の花、住吉大社は松だ。天満宮の巫女さんの髪飾りはのしをひっくり返したようなものだった。それが何を意味するのかは調べていない。ここで「梅枝餅の土産を買って博多まで戻った。
P4040060九州国立博物館
P4040062太宰府天満宮
P5059756太宰府正面
P4040064学業成就のお守りの数々
P4040069巫女さんたち髪飾りに注目
P4040072友達と記念撮影
P4040074御神牛
P4040075梅枝餅を売っている通り

九州旅行2

2021年05月01日
私と大学時代の友人は高速を東背振で降り、数分で吉野ヶ里遺跡についた。入場料は200円と安い。歴史公園は東京ドームが25個分約54ヘクタールの広さがある。雨の浮き橋を通り、すぐの環壕入口に園内巡回バスが待機している。20分おきに出ているそして園内五か所に停留所があり、停留所ごとに展示物やワークショップがある。私たちは最初弥生くらし館で匂い袋を作った。他に勾玉作りや、土器作りがある。土日祝にはさらに5つのプログラムがある。ここから北墳丘墓2100年前の王や貴族の墓そして甕棺墓列を見た。昔は土葬だったのだろう。大きな甕棺に死体を入れ、穴を掘って埋めたのであろう。南内郭では物見櫓や王たちの居住空間を見た。物見櫓は3階建てで高さ8mぐらいはあったと思われる。この物見櫓は私が2018年10月に壱岐島の「原の辻遺跡」に再現されていた弥生時代の遺跡の物見櫓と全く似ていた。さらに私が注目していたことはこの遺跡から家猫の骨が見つからなかったかだ。家猫の歴史は壱岐のカラカミ遺跡から発見されたものが日本最古であると記憶している。もし発見されていれば弥生時代から家猫が存在したのだろう。「南内郭」に「倉と市」は隣接している。20棟ほど住居や高倉が再現され中も見ることができる。ここでまつりごとの儀式を再現している棟があった。卑弥呼みたいな呪術を使う人、おそばに使える付き人が二人そして各村の長みたいな人物が30人ほど座って祝詞を聞いている風景だ。祭壇には鏡・水・お米・その他貴重なものと思われるものがおかれていた。当時鏡は神機だったのか。私たちは残念ながら時間がないので「古代の森体験館」と「古代植物の森」は見ずじまいに終わった。12時を廻っていたので東口そばのレストランで昼食をとった。ここでは古代米が入ったメニューがあり、私たちは古代米とちゃんぽんのセット1000円を食べた。このセットは腹いっぱいになる。その他パンフレットの案内に触れ合い間でウサギと触れ合ったり、水棲生物の水槽展示があったり、バーベキュウ広場、幼児用の遊具が置いてある。
P4040014前回の金印の説明板
P4040019環濠入口のバスのりば
P4040028匂い袋の作り方
P4040032死者を入れる甕棺
P4040044甕棺に入れられた死者
P4040050竪穴式住居
P4040057呪術を行う祭祀
P4040059古代米とチャンポン