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5/10 熊野古道 紀伊宮原から湯浅へ

糸我峠を超えると湯浅の街が一望できる。江戸時代には大阪へ味噌や醤油を売った代金が運ばれ、紀州藩の役人が護衛したそうである。糸我稲荷神社は我が国最初の稲荷神社で652年創建である。伏見稲荷より60年も前のことだ。
 湯浅町は湯浅の金山寺味噌、醤油の産地として栄え、今でも江戸時代の建物が残っている。ここに深専寺というのがあり、東日本大震災後注目されている寺だ。門前に「大地震津波こころえの記碑」が建っている。1854年の安政東海地震続く安政南海地震で壊滅的な打撃を受けた教訓を記してある。
地震が起これば火の用心をしてその上津波がくるものと考え、絶対浜辺や川筋に逃げず天神山の方へ逃げるようにと、
、また平賀源内がオリーブの木と間違ってことで有名なホルトの木がある。わたしはかなり以前に聞いていたので一度見に行こうと思っていたが、既にこの木は無く、枯れたあとにひこばえから育ったものがあったが、これも枯れてしまったということだ。
得生寺由来
糸我稲荷神社
深専寺
枯れたホルトの木

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