パレンケの発掘調査で墓の四方と中央部分を掘ると色々な遺物が出てきたと書いてあるのに興味を持った。この文化は幾何的なことを大切にするのか?それと形は83で割り切れるというのも83の倍数を見るとかなり大きな数までここの文化は認識できていたと思う。
ティオティワカンでは350年から550年前後に造られた香炉が展示されていたが日本の平安貴族が香炉を炊いていたのと比べるとかなり以前から香が必需品だった。これはすぐに理解できたシバの女王は乳香の貿易で栄えたからだ。
南米ではコーバルという木の樹脂からとれたものが香料として用いられた。
リュウゼツランがお酒作りに使われたが、発酵酒だ。総称してメスカルだったが、テキーラ村のお酒が特によかったため、テキーラが独立してしまって、そのほかをメスカルト」プルケになった。私も現地で飲んだが、きつい酒だった。
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