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長浜街歩き5

2023年03月19日

長浜鉄道スクウェアを出ると伊吹山が美しく見えました。また長浜城からの帰りに見落としていたドイツのディーゼル氏とヤンマーの創始者山岡孫吉翁の話を少しします。長浜市とドイツ・アウスブルグ市は1959年4月に姉妹都市提携を結びました。ヤンマー株式会社の創業者山岡孫吉翁は、1888年高槻町東阿閉に生まれました。孫吉翁は多くの困難に打ち克ち、世界で初めてディーゼルエンジンの小型化に成功し、農用・舶用・産業用などあらゆる分野の原動力としてその普及に力を尽くしました。常々ディーゼルエンジンの発明者ルドルフ・ディーゼル博士に感謝の心を抱いていた孫吉翁は1957年10月博士を顕彰するディーゼル記念石庭袁の寄贈は、アウスブルグ市民の大きな賞賛となり、両市の姉妹都市提携の架け橋となりました。・・・

中略・・・私たちは、姉妹都市提携50周年を記念してアウスブルグ市から贈呈された市の紋章である「松ぼっくり」を楊した記念碑を建立し、山岡孫吉翁とディーゼル博士をここに顕彰します。の碑文があった。なおこの長浜にはヤンマーの研究所兼ヤンマーミュージアムがある。さて鉄道スクウェアのすぐ前が盆梅展会場である。盆梅展は慶雲館で昭和27年から開催されている。昭和26年に浅井町高山の高山七郎氏が当時の寺本太十郎長浜市長に請われて盆梅40鉢を市に寄贈したのが始まりです。慶雲館は明治19年の秋に明治天皇皇后両陛下が京都行幸に大津から船を利用し長浜に上陸されるとの報が入り、長浜に上陸されてから鉄道に乗り換える時間に滞留するために適当な場所がなかったことから当時太湖汽船頭取の浅見又蔵氏は早速私財を投じ、天皇陛下の誕生日である11月13日に着工、行幸当日の明治20年2月21日朝に完成するという慌ただしさでした。両陛下は13時前に到着し、13時45分の列車で名古屋に向かわれたそうです。慶雲館の敷地は6000m2 建物は尾張産の総檜造りの寄棟。2階建てで約500m2

盆梅展会場には瀬戸内寂聴さんの俳句がありました。

P1181698長浜港の碑 慶雲館のそばにある

P1181685慶雲館御入り口

P1181689浅見又蔵と高山七郎

P1181688瀬戸内寂聴さんの句

P1181692慶雲館の庭

P1181690盆梅



長浜街歩き4

2023年03月18日

長浜鉄道スクウェアは長浜鉄道文化館と北陸線電化記念館も併設されている。文化館は鉄道連絡船に関する資料や北陸線を走った模型車両を展示している。明治15年(1882)5月太湖汽船会社は長浜から大津間に日本で初めての鉄道連絡船の運行を始めました。鉄道ができるまでの代用としたのです。明治16年9月に2 隻の蒸気船は第1太湖丸・第2太湖丸は日本最初の鉄船で500トン、350人乗りで14ノット(時速26km)で快走しました。当時は帆と蒸気機関で走る船が多い時代でしたが、14ノットというのは大変な高速船でした。大津と長浜間を約3時間半でむすび、明治22年まで7年間運行されました。長浜は鉄道の街として発展し、駅付近には28軒の旅人宿が軒を連ね、運送店は15店、飛脚業は4軒、人力車は72両を数えました。文化館の入り口は新幹線に関するクイズがあり、新幹線の開業から現在の新幹線のスピードなどのその時々の画期的な事柄を楽しく学べます。パネル展示では最近の快速電車や数々の特急電車の写真が飾られています。北陸線電化記念館には実際に使われていた蒸気機関車と電気機関車2台が陳列され、その質量の大きさに圧倒されます。ともに運転台が開放され蒸気機関車の運転席周りの複雑な構造は、これを動かすのにはかなりの訓練が必要な気がしました。それに比べると電気機関車の運転席はシンプルでした。

D51形793号蒸気機関車の説明から

D51形793号蒸気機関車はダイナミックな勇姿から”デゴイチ”の愛称で広く親しまれ、1115両も製造されました。このD51形793号機は1942年(昭和17年)11月18日に三菱重工業(株)で製造され、東北・東海道・中央・北陸の各線を、1970(昭和45)年まで27年余り走りました。その走行距離は1784000kmで地球を44周したことになります。

詳細 車軸配置 IDI(ミカド型) 最大長 19,7m 機関車重量 77,7t

炭水車重量 47,4t ボイラ圧力」15kg/cm立法 動輪直径 1400mm

最高速度 85km/h

P2250087長浜鉄道スクウェア

P1181665懐かしい特急列車

P1181673電気機関車 三菱重工業製

P1181680 2蒸気機関車 三菱重工業製

P1181676 運転席内部左側

P1181675運転席内部右側


長浜街歩き3

2023年03月05日

長浜城を後にして長浜鉄道スクウェアに向かう。今の駅舎の上に2本の煙突があるが、これは昔の長浜駅舎を真似たものだ。煙突の形をした建築物で暖炉の煙突ではない。スクウェアの入り口は3等乗客の待合室になっており、火鉢が置かれていた。1・2等乗客の待合室は別にあり、暖炉が置かれていた。そこにはマネキンがあり、男性は背広にマント、山高帽を被り、女性は日本髪を結い、着物姿であった。部屋の隅には太くて長い竿ばかりが置かれてあった。私はこの原理を知っている。いわゆるテコの原理で吊るすものの重さは竿ばかりを吊るす紐のところが支点となって分銅を右にずらしていって均衡を測る。これの使い方を知っている若い世代はいるのだろうか。続いて北陸線電化記念館に入る。まだ東海道線が開通する前に敦賀〜長浜間に鉄道が開通していた。これは明治17年(1884)のことだ。明治35年にシベリア鉄道が開通、明治45年にウラジオストック〜敦賀間の航路が開通、船と鉄道(欧亞国際列車)で東京〜パリ間が17日で行けたという。敦賀がヨーロッパに向けて開かれた窓のようなもので敦賀港が江戸時代北前船で栄えた後は国際港となって発展していったのである。少し話は飛ぶが「杉原千畝」という人を知っているだろうかナチスによって迫害されたユダヤ人を助けた外交官である。日本政府がビザを発給を許可しなかったにもかかわらず人道的立場から昭和15年ユダヤ難民2139人に日本通過ビザを発給した外交官である。これらの難民は主にシベリア鉄道を通って敦賀に来たそしてそこからインドネシア、オーストラリア、アメリカにわたっていった。イスラエル政府から「諸国民の中の正義の人」賞を昭和60年(1985)いただいている。1991年鈴木宗男外務政務次官が杉原千畝を高く評価し、名誉回復に努め、2000年に河野洋平外相が外務省の非礼を正式に認め、遺族に謝罪した。

P1181658当時の一等車の乗客の姿

P2250092手荷物柳こおり

P1181660棹ばかり かなり大きい

P1181664当時の時刻表


長浜の街歩き2

2023年02月25日

長浜は伊吹山が東に西はすぐ琵琶湖が控える街だ。25日は長浜の観光ボランティアのBさんと一緒に回った。伊吹山は以前スキーができてリフトもあったように思うが雪をいただいた

この山にそういう施設が見られないのは何故か尋ねたところ雪が積もらなくなったのと西斜面(表)は太陽の光が強くて雪が溶けてしまうので今は山の裏にスキー場があるとのこと。

長浜駅から長浜城に向かう手前は豊公園になっており湾岸道路は外濠を埋めた上を走っている。豊公園の桜は樹齢100年もするソメイヨシノだが、年とともに入れ替わりもあるという。長浜城は市民有志と長浜市がお金を出し合って昭和58年に再建されたコンクリート造のお城だ。秀吉が建てた時は竹生島にある浅井家の材木も使われた。今この長浜城で国友一貫斎の数々の業績や発明品の展示をしている。一貫斎は鉄砲鍛冶であるが鉄砲の作り方を克明に記録している。文政元年(1818)松平定信の要請により「大小御鉄砲張立製作控」を出版する。火縄銃の銃身を彫る技術や銃身を強固にする技術に長けていた。空気銃も作っている。また文政3年江戸に出て行って外国の望遠鏡を見聞し、それを真似て天保4(1833)年反射望遠鏡も作って自分で月や太陽の観測も行なっている。一貫斎58斎の時に太陽の黒点観測を約1年間行う。

P2250075豊公園の寄生木

P2250079伊吹山

P2250077お市の三女(江)崇源院


長浜の街歩き1

2023年02月22日

長浜は豊臣(羽柴)秀吉が初めて城をつくったところだ。JRの新快速が長浜まで走るようになってから観光客がグッと増えて今では年間200万人が訪れるようになったという。長浜に来る手前に安土という駅があるがここは織田信長が安土城を作ったところで今は石垣が残るのみだ。かなり前に『火天の城」という西田敏行が主演した映画があったが最後は城が燃え尽きるシーンだったと思う。日本で初めて天守閣を設けた城だった。天守は天主であると私は思っている。信長は宣教師からいろいろ教えられ、天主が住むところを天主閣と言いたかったのだろう。秀吉は長浜に城を1574天正2年ごろから作り、天正3年位完成している。地名も今浜から長浜に改名している。以後天正10年の清洲会議まで長浜城主を務めた。

大都市にするべく周辺の村を長浜に集め、商人には慣習に囚われない商売を認めました。(楽市楽座)また戦に協力してもらうため職人の保護にも務めた。槍を作っていた下坂鍛治や草野鍛治、鉄砲を作っていた国友鉄砲鍛冶を優遇しました。

P1181644羽柴秀吉 長浜城は今より浜の近くに建っていた

P1181645長浜城

P1181646ルドルフ・ディーゼル ディーゼルエンジン生みの親 ヤンマーが小型ディーゼルエンジンを開発

P1181652長浜城から見る琵琶湖


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