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櫻井神社と法道寺

天正5年(1577)織田信長の根来寺征伐の兵火にかかり、神宝古記録を焼失、神領も没収され、一時は荒廃した。天正16年(1588)加藤主計守(かずえのかみ)清正の発願で阿弥陀堂の再建、元禄15年(1702)神門再建、亨保16年(1731)鐘楼と宝蔵を再建した。慶応4年(1868)神仏分離に際し、仏像仏具経巻等は片蔵の金福寺へ移管し阿弥陀堂は、別所の法華寺に譲渡した。鐘楼は神輿蔵(みこしぐら)に改造して現存している。明治5年(1872)に郷社に、同41年(1908)から明治43年(1910)には旧上神谷村内の國神社他9社を合併。大正6年(1917)拝殿が特別保護建造物に指定される。昭和17年に府社に昇格し、神威の尊厳を加えた。拝殿は昭和天皇28年(1953)に大阪の神社建築では住吉大社本殿4社とともに国宝建造物の指定を受けた。堺で唯一の国宝建造物である。
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狛犬 頭にツノがある
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ここで蛭子さんの笹など販売
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小躍りの時の赤鬼
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小躍りの時の黒鬼
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日露戦争の時の肉弾三銃士(彫り物)

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