滝廉太郎はこの豊後竹田で12歳から二年半過ごすことになりました。直入郡高等小学校を卒業すると東京に帰り、高等師範学校附属音楽学校(今でいう東京芸術大学音楽部)へ進みます。廉太郎は竹田城を散策するのが好きでした。土井晩翠の詩に曲をつけた「荒城の月」は名曲です。また彼は児童が歌う歌もわかりやすいものに作曲しています。「蝶々」そして有名な「花」も彼の作品ですが彼は生涯に僅か34曲しか残していません。いずれも有名な歌ばかりでした。岡城は明治維新後に城館は取り壊され今では石垣のみ残る姿になりました。この石垣の上の二の丸跡に滝廉太郎の像が建っています。私は滝廉太郎記念館と岡城址を見学して福岡空港にレンタカーを戻し、帰りはピーチで関西国際空港に帰りました。
7022912]大手門跡
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