キトラ古墳を出るとすぐ大きな広場になっていてここで昼食をとり、高松塚古墳に向かった。距離にして1,2kmしか離れていない。その間に檜隈寺跡(ひのくま)・於美阿志神社(おみあし)を見て回った。金達寿氏の「日本の中の朝鮮文化」3巻の199ページに檜隈について書かれた興味深い記事がある。「檜隈の地名は帰化人の移住地として有名である。応神天皇二十年の秋9月に渡来した倭漢直(やまとあやのあたい)の祖先にあたる阿知使主(あちのおみ)とその子都加使主(つかのおみ)らの一行がこの地に定住したらしく、檜前にある於美阿志神社(おみあし)阿知使主を祭神とし、使主阿知から転じたものであろう」としている。明日香村・飛鳥保存財団の看板によると檜隈寺跡は神社の境内にあり、塔・講堂と推定される建物跡を残す。「日本書紀」天武天皇朱鳥元年の条に檜隈寺の寺名が見え寺跡からは7世紀末の瓦が出土する。現在塔跡にある十三重石塔は上層の一部を欠いているが重要文化財に指定されている。ここから高松塚古墳に向かうと白い着物姿で高松塚発見50年を祝っておばちゃんたちが踊りを踊っていた。高松塚古墳が有名になったのは壁画が我が国初めてのものであり、美術史や天文学の分野でも貴重なものになっている。
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