朝上田の駅から小諸に向かおうとすると30人ぐらいの外国人旅行客の団体があった。顔貌の感じでアメリカ人らしくなかった。ヨーロッパとするとどこだろう。とにかく英語で聞いて見ることにした。するとポーランドから来たという。観光か聞くと私たちはオーケストラの団員で演奏会を開いたという。全員で40名が来ている。菅平はスイスのダボス市と姉妹都市になっていてバス停にも取り入れられている。私はもう10年前にポーランド第二の都市クラカワに行ったことがあるというと驚かれた。
しかしアウシュビッツがあったオシフェンチムに行ったと言っても通じなかった。しかしアウシュビッツで通じた。そしてまたクラカワは美しい街で飲食店ではバンドが中で演奏を聞かしてくれたといに滋野駅があり、相撲取り雷電の出身地と書かれていた。私は雷電爲右エ門のが描かれているメンコを持っていたのでそういう強い力士がいることを知っていた。言い伝えでは生涯に10敗しかしていないという。これほど強いのに横綱になれなかった。江戸中期の相撲取りだ。小諸駅から高峰高原行きのバスは本数が少ない。また高峰高原からのバスも一日2本でこれは新宿まで行くJRバスだ。8時53分発のバスには乗客が3人しか乗ってなかった。9時30分にjついた。ここには高峰高原ビジターセンターがあって浅間山に関する情報を提供している。浅間山に一番近くまで行けるのは前掛山なのだが、あいにくの濃い霧がほとんど山を隠している。見られるとしたら黒斑山や蛇骨岳からだろう。浅間山は大昔黒班山よりも低かった。黒斑山が2800mあったが噴火で400mが吹っ飛んでしまい、浅間山に高さを抜かれた。登山口の車坂峠には一人だけ若い人がいた。お先にと言われ彼を見送ってから頭にヘルメットをつけての登山が始まった。コースは表コースと中コースがあり、表コースを辿ることにした。12時に小休止、鼻血が止まらない。下山者2名に会う。彼らは霧が濃いので降りてきたという。12時15分雨になったのでレインコートとザックカバーを装着、12時50分トーミのかしら到着、鼻血のせいでタイムは大幅にオーバーしていた。13時12分黒斑山頂上相変わらず霧が濃く、5名が下山して行った。その中に外人の若い女性がいたのでどこから来たか聞くとスペインのバルセロナからだった。私もそこには2回も行っていたのでサクラダファミリアに登った話などした。しかし霧が濃くて悠長に話などできない。視界が7mもないのだ。すぐ別れてしまった。どうするか迷った挙句に私は頂上で昼飯を食べることにした。もしものことで昼食中に晴れることがあったらと期待しながら、カロリーメイトとベーコンを食べた。風がきつい。レインコートがバタバタと音を立てる。