5日金剛山に登ってきました。今回はロープウェイ前から文珠尾根を通るコースで山頂には約1時間20分でつきました。昼食をとって頂上付近を散策、転法輪寺で子供祭りというのが行われ、子供の無病息災や学力向上を祈ってました。法螺貝や笏が響き渡りいい雰囲気でした。カタクリは既に終わってましたがイカリソウやシラネアオイの蕾が見られました。葛城神社側の餌場には今日はキジバトがでんと座ってヤマガラやゴジュウガラはきませんでした。伏見峠からロープウェイ前まで降りましたが、途中の湧水のところで水を汲みました。ここの水は素晴らしく美味しいです。衛生的に全く問題ありません。2018年に私はここの水を検査しました。一般細菌や大腸菌は水道水基準値以下です。重金属は含まれていません。色、濁度、味などもクリアしています。(公的機関の値)
南極半島に行ってきた記事が大阪自然史博物館の会報に載りました。どうぞご覧ください。Nature Study 4 2024-6-8_Yonemichi( .pdf / 1.3MB )
3月10日から11日にかけてカーテンを作りました。家のほとんどの窓にカーテンをつけていますが、自作したのは初めてです。上部三分の一を透けるような生地を使い、下部の生地との繋ぎ部分に簡単なレースをつけそれから下はヒダを細かく取って膨らみを持たせました。
久能山を降りて山下に至る。すぐに海岸があり太平洋の波が寄せていた。砂浜は清掃されているのだろうかゴミがない。ペットボトルや空き缶もない綺麗な砂浜だ。私は知らなかったがここ久能山はいちごで有名な所だ。それも太平洋に燦々と降り注ぐ太陽が石垣を暖め、石垣に隙間に植えられたイチゴが甘く美味しく育つのだそうである。いちご狩りにはまだ早いがここのいちご狩りは石垣のブロックの面積で値段が決まる。私が3000円ぐらいですかと聞くといいやもっとという。土産物屋でイチゴパイを買った後、太平洋の海水を手で掬って舐めてみた。あまり辛くなかった。ここから登呂遺跡に向かった。そこへ韓国の方が観光に来ていた。このようなところに来るのは珍しいので考古学ファンか聞いてみた。それほどでないらしい。ハングルは少し話せたので難しくなるとチャンカンマンキダリセヨと言って知っている単語を並べての会話だった。登呂の遺跡はすぐそばまで住宅が迫っているすぐそばの博物館位はかなり大きな部落を示す展示があった。どうやら遺跡の発見が遅れたらしい。珍しいものでは風呂の椅子のようなものが5点展示されていてこの辺りの水田の土が柔らかかったのではないかと思わせた。最後に駿府城に行った。静岡駅から歩いて行ける距離である。城はないが大手門とその付属の櫓のようなものだけあった。今盛んに発掘調査がされていてその規模は大阪城・江戸城より基礎部分は大きいと言われている。石垣に使われた石は大阪城のようにいろいろなところからもたらされたものでなく、さほど大きくない石で石垣が築かれていた。
最後の締めくくりとして静岡があったが、バタバタしていて全く披露できていなかった。大糸線の豊科あたりの風景は素晴らしい。山の頂上は雪が被りその下の木々は赤や黄色の縞模様だ裾野は緑で手前は静かな湖が広がる。うっとりするような車窓は暖房が効いて心地よい。特急富士川はジーゼルの3両連結だった。この特急は走り出す時ジーゼル特有の重いしんどそうなおtがなく、割と軽やかに加速する。途中甲斐岩間がハンコの街となっていた。中学校の卒業記念品がハンコだったのを思い出す。富士宮の手前で列車が急停車した。車内アナウンスによると鹿と衝突したらしい。列車は20分遅れて出発した。静岡ではスマイルホテルに泊まった。受付で10階の山側の部屋を用意しておきましたと告げられる。
14日朝起きてカーテンを開けるとガツーンと富士山が目の前にあった。レセプション横に100円のコーヒーがあるのでそれを部屋に持ち込み優雅に昨日買ったサンドウィッチを頬張る。こんな優雅な気分独り占めは良くないとMとKに電話、Mは静岡の近く在住なので今日の富士山は格別だという。早めに日本平に向かった。夢テラスから見る駿河湾を挟んでの富士山も見事だった。ここから久能山に行くロープウェイに乗ったがなんと200人以上が列をなしていた。久能山は徳川家康の墓所があるところで拝観料は500円、日光東照宮のような煌びやかさはない。久能山からは太平洋側の山下に降りた。